水源禅師のご法話

2022-11-01 1:23:00 AM

Ecuador 2022.11

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皆さんお元気でしょうか?

早くも二ヶ月を残す、2022年です。とても激しく動く世界の混乱期に入りましたが、まだまだ先が有りそうです。長年にわたりこの事は予測して、発表してますが現実の対象に取り込むのがとっても難しい世界の状況です。私も10年前よりの準備で、やっとEcuadorの受け入れ体制ができて、日本よりの一乗禅の会の方々が無料費の弥勒菩薩迎賓館に瞑想に来られるようで とても楽しみにしています。それと同時に素晴らしい山海の食材で 訪問の方々に、私の手前料理でもてなすのがとても楽しみです。此方の海と山の気候は年中23-5C 涼しく気楽に過ごせます。もう直ぐに此方でまる3年の月日が流れる中で、 時間があっと言う間に消え去るように短く感じます。それでも、カナダの湖の寺小屋も安定して待っているようです。3年座ることにより天界より沢山のご褒美を頂き、是を皆さんと一緒に頂く事に心から誠に嬉しい限りです。お釈迦様が修行がすんだら山野で暮らしなさいとの、慈悲の塊のお言葉で是ほどの愉しく暮らしたのは人生で初めてです。何でも時間と年数を掛けて解る事なのですね。佛大梵天王問佛決疑經はお釈迦様が涅槃に入る前の最後の大説法で、私の生まれ落ちた数年後より、今までの私の人生修行での体験での不思議な事柄の回答がずっしりと詰まっております。文献ではいくら探しても私のとても不思議な体験の回答が無いのですが、奇跡的にこの経典に出会い、私の人生修行での体験の解答の書です。此処にお釈迦様の八万四千の法門の核芯が私の心に響きます。特に過去七佛、毗婆尸佛(: Vipaśyin: Vipassī)、尸弃佛(: Śikhin: Sikhī)、毗舍浮佛(: Viśvabhū: Vessabhū )、拘留佛(: Krakucchanda: Kakusandha)拘那含牟尼佛(: Kanakamuni: Koṇāgamana)、迦叶佛(: Kāśyapa: Kassapa迦牟尼佛(Śākyamuni : Gautama)へ心より敬意を評して、無量遠劫大宇宙の源の毘盧遮那(大日如来)仏の教え【知見での一心を観る】をお伝えくださった事に無量の感謝を申し上げます。それと同時に総ての衆生と世界の大平安への願いを込めて、家内と私の一切のご先祖様と亡き父母に、この度のお経の翻訳で報恩して、家族の支えと一乗禅の会の皆様の支えにより、私なりの文章で日本に住む皆様又世界の方々へ報告出来ますことを感謝申し上げます。

最後の章6,7へ続きます。

降魔品第六

佛告阿難。阿難當知此經誠實。難信難行。非謂此經不相應人無信無行。此經最上成佛直路。為最上者。必有魔障。以是理故。難信難行。何為魔事。有四種魔大障弘通。一者天魔作障魔。二者外魔。三者他魔外道邪見魔。四者自魔。有如是障。誠是難行。真是難治。何為天魔依是經者。無不成佛。是故天魔常作障難。雖至世間弘通之時。橫遮不至其弘通時。或雖世間有弘通人。又令無伴侶者。或令傍人為誹謗難。或招災難。令中生苦。或託於人。告此經非七佛。或以弘於世間。令謂此弘人行邪道人。或付天子國王三公。令欲不弘此經於國。悲哉此經為魔被遮。不廣於弘通流布。我以佛眼。見此難治。唯不依經文字章句。以此經理。傳於心心。廣令世間弘通流布。又以方便。令觀音等諸大菩薩能藏持之。留此經卷。同我護念。不永斷。阿難當知。持傳此經。是人即是大力菩薩。真實行人。何為外魔。當有二種。一者歸氣斷滅魔見。二者成神鬼界魔見。何為世學歸氣道人。學世間教。不知心造天地萬物善果惡果乃至十界解知天地五行萬物人間五虫皆是氣造。元氣分散。心亦分散。成虗無心。無後果報。因果撥無。當墮惡趣。悲哉此人不知教。起此教法者。高地菩薩。作轉輪王。出於世間先見時節。為人間治。設氣造教。心造教者。待起佛。雖此教宗。不無心無神無報後出外道。以自凡心。妄計妄解。轉輪聖者。所設聖教。或失其傳。私設無見斷見等旨。妄立此宗。此國他國。乃至三千大千世界。劫初所出諸聖王者。皆是高地大菩薩也。是故所。一切教示。無有邪妄。皆是正教。以正以善。能治國土。依人民心。此國他國。今時後時。諸外道者。皆立私旨。破我聖教。豈唯破我所說說教。還破上世聖王所設示教宗。如是長邪作妄解。故此人時見我知見徒還作誹言。不知真理。妄迷顛倒。作無益行。大遮歸向。我知見門一切人民。無此經道。何為世學成神道人。但守一世。不慮後世。唯知人死成鬼成神。不知出離生死成佛。此教亦復聖王所設。聖教旨也。世下時。遍。遠聖者故。妄作此解。長記長才。妄學旨者。為修心身。非為才記。妄己不治。唯破他教。悲哉此人亦復不知此教本是聖王所設。而不差於如來所。還見知見成佛道人。誹謂不解天真本性道。無成佛在法界宮。亦無佛居十方淨土。亦無作惡人居地獄。皆是佛者以妄語。成此知見。人不知是理。是甚愚人。遮歸向人。何為釋中典會魔。當有四種。一者文字博學見魔。二等愚痴要約見魔。三者易行著相見魔。四者難行著相見魔。何為文字博學見魔。著文沙門。於我所諸大乘經。盡藏盡部。分別文句。作解作傳。講之釋之。唯明文字章句義理。稱我大智多聞強記一切經義通達無暗。不知其經真實道理。皆在己心。諸經言者。諸言者。己心理。非文字義。侈學。侈才。立我立慢。還滅我教。深入邪道。成魔伴侶。聞口言。即是佛語。察意解理。即是外魔。悲哉此人不知諸佛出世法教化本意。若不開悟佛知見道。不修行成修滅凡業。修成聖業。修滅凡氣。修成聖氣。而但應長多聞多才口給辨。如來出世法何益。如是愚人。『還見真實。不立文字。知見心性。作佛道人』。太作誹謗。謂是魔徒。大遮歸向於此經道。一切行。如是邪人識難治之。三世諸佛。一切人。菩薩。無有一佛。亦一菩薩。唯解文字。唯持多聞。不覺心性。不修覺道。已成佛道。當成佛道。如是愚人。非我弟子。是為魔徒。何為要約。愚痴見魔。無智沙門。於我所。諸教經中取一要文。深著其理。悉捨他教。甚深法門。非是真實。非是要道。擇是擇彼。一切廢捨。日日增信。自執妄見。時時增厭。諸佛廣道。強著強執。次第入暗。捨智捨覺。終成極愚。設諸佛現雖破此邪。諸大菩薩雖破此愚。不聞不入還作瞋邪。亦作大謗。道汝不知。妄破我法時見此經。知見道人。謂是迷人不解要法。妄作覺解。諸佛如見。是知見道。廣博無益。云何愚人應能解之。設有能解示天何益。『但捨知見。入惡道』。如是教化。遮我大道。悲哉此人不知諸佛修行成事。一切諸菩薩者。生生增智。世世致理。劫初益見。代代格覺。如是愚人諸佛誠度悲之。阿難當知。如是愚人設得六通。現三昧相。如是天魔化來所作。勿生一念歸信之心。如是愚人誠難治之。三世諸佛一切菩薩。無有一切。亦一菩薩以一句義。不通眾理。持一要文。不明性道。捨智成愚。一向無機。已成佛道。當成佛道。如是愚人非我弟子。即是魔徒。何為易行著相見魔。無力沙門。於我所諸教經中。為化愚痴無根之人。任於過去諸佛方便。亦不得止。設方便教。或歸一佛。的一菩薩。或持一呪。持一經句。歸之信之。不依難行。滅罪解毒。方便成路或有破戒劣根沙門。倦修眾聖真人正道。如渡得船。見之歡喜。悉捨諸佛戒慧道。一向著住此方便道。不知諸佛不得止。設纔時方便。權假之道還以此權假方便。為最上法。謂無上路。或作邪思。為我能得一切道人。未見未得最上妙法殊勝妙路。招諸愚人。為彼愚人。設講設會。廣敷演。而謂此道最勝極妙。唯限此路。眾生成佛。諸餘經道皆是難行。一切凡夫皆是下根。若下根人依難行道。百千萬人中。雖一人。實不可有得成佛道。於茲一切魔魅。得便加勢加利。冥成助故。日日長其信心氣。亦日日弘長其邪法流。亦復一切愚人迷俗於。功。茲得幸大作歸伏。所以者何。一切愚人好惡。惡事。懶於善行。雖然如是。一切賢聖一切諸佛。已。作惡人者。非是人間。非是佛徒。今過罪害。後生惡趣。生生世世得惡果報。永成佛得大路。是故捨好忍懶。勤修。依戒。依定。依慧。修度。忍難。忍苦。依聖學教。恐罪捨惡。趣向聖道。然今逢此大易行。不依賢跡。不依聖道。永離惡趣。直得成佛。大慶大喜。皆人此教。於茲即廢諸佛正法。豈唯廢我成佛法。也即廢王法仁義聖道。所以者何。令諸人心深著易行。不知道理。以是理故。親罪親過。親迷親妄。親惡親邪疎父疎母。疎君疎臣。疎聖疎賢。疎天疎命。豈唯是自然廢聖道也。彼邪沙門。見此經知見道人。甚大惡之誹謗而謂此修行人。不知直路。遠迷久惑。留難行道。知見道者難解難入。濁惡世中不相應下愚人民。千萬億人於中無迷□一。成就此道。誠可咍之。此邪言流布於世。大遮入。於知見道人。悲哉此人不知諸佛設方便旨。諸佛設此方便路意。欲先教之。因是為緣。起信近佛。漸漸增益一切佛種。引入佛道。開示悟入佛知見道。令得成佛。阿難當知。念三寶者。是為至於知見寶處中路舟筏。爾此愚人不知舟筏。執此舟筏。還遮寶處。誠可悲之。名非遮此佛知見道。還遮自己念三寶道。所以者何。或是念佛。或是念法。或是念僧。雖是皆實諸佛法。是愚沙門所念之心。即邪念故。念三寶法即成邪法。修邪法故即墮魔道。自墮魔道故令他墮魔。自墮他墮皆破佛法。破佛法故破念三寶。豈唯墮魔邪類中也。終墮無間大火坑中。無量無邊大劫數間。受無量苦。永佛種。如是愚人誠難治之。三世諸佛。一切菩薩。無有一佛亦一菩薩。不依此經。佛知見道。念一如來。念一經句。念一菩薩。唯是一行。已成佛道。當成佛道。如是愚人非我弟子。即是魔徒。白佛言。世尊如是愚人云何得魔法魔徒。應還信佛。佛言阿難。如是愚人即止慢心。迴心還思。應當思念。我是愚人。我是惡人。當墮三塗火坑之中。但有諸佛。以大慈悲。能設方便。為我等故此易行念三寶道。令我愚人永離三塗。是尚慶餘應如是我往淨土者。誠不思議我法方便。更不應對他人勝道。如是思念。或念佛寶。或法佛寶。或念僧寶。向其念寶。一向專念。無他思求。依我劣根。無由勝道。唯歸如來方便之道。於自他相。無是無非。不遮他道。唯向自身。拂心垢。欲專念誦。則眾魔退去。其三寶現。自無罪亦他無罪。故即成我教。念三寶法若一念。生自勝他劣增上慢心。還作魔行。亦離佛行。諸佛真實知見道。尚謂自勝他劣等者。即為魔道。何以故。此佛知見者。為得作佛耳。非為見自勝他劣生慢心故。何況於為修佛方便劣行尚爾。以自劣為勝於他勝道也。何為難行著相見魔。有沙門我法中。為極惡人。及極愚人。亦極邪人。亦諸闡提。生盲生聾。諸佛神力。諸菩薩力。一切不及。以佛方便。設一妙不思議術。以神呪。呪一切罪人。令得解。於此呪術法爾。自然有十種功。何為其十。一者凡夫轉成聖仙。二者罪惡轉成善德。三者闡授轉成解。四者流轉轉成往生。五者魔障轉成賢業。六者病惱轉成治安。七者中夭轉成長壽。八者天災轉成神福。九者怨敵轉成恩伴。十者兵亂轉成靜平其餘尚有無量神驗。此呪術者。難行苦行。而面前現種種神驗。或有邪念上根愚人。或利欲者。為世歸依。或樂驗者。為驗術故。入於山林識濯木食種種難行。得大神驗。出於世間。驚一切人。即謂是法諸佛法中最上最勝化諸人民。引入邪道。不知如來方便所設。唯樂一切奇怪妄事。永沈邪見。悉墮魔道。終必當墮三塗火坑。豈唯自成奇怪。邪徒自失正道。還令諸佛大聖道。共成奇怪。法無其正道。誠可悲之。阿難當知。諸佛如來。設此方便神驗法者。第一為欲難救罪人。能救令入解門也。是故諸佛以初五功為真實設。第二亦以慈悲心故。於現世生。欲天下平萬姓安故。以後五功為次。實設其餘有驗。皆是呪力自然功驗。自然此愚人。著其神驗種種奇怪無益名譽。忘失本意成佛實驗。瀧水逆流山嶽移他。呪縛鬼神。呪水為湯。是事何益。但實得。有道沙門。令損國水之逆流。令害人鬼呪。之縛者。是有益故。即是佛事。除如是術。彼邪驗人。時見此經。知見道人。還作誹為無功無德。謂道人愚痴。不知我有功德。修無功能。下劣淺道。大遮諸佛真實正法。如是愚人誠難治之。三世諸佛。一切菩薩。無有一佛亦一菩薩。不依知見成佛正道。修無益驗。已成佛道。當成佛道。如是愚人非我弟子。即是魔徒。何為知見差路障魔。當有十類。一者禪坐不得迷魔。二者辨達不悟迷魔。三者凡聖不別見魔。四者慮難不發見魔。五者慮易差路迷魔。六者知見不修見魔。七者能修不見迷魔。八者見空不中迷魔。九者見滅不實迷魔。十者心教不同見魔。如是等有無量魔見。但以略示此十類魔。學士觀察。勿墮此中。何為禪坐不得迷魔。趣向知見。一乘道人。為工夫故。修行禪定。從朝至晚。從夕至曉。但空靜慮。日久年久。如是漸了見無。物心寂然空。無想無念。見此空。入為是佛性道。我禪中。得佛知見。更無顧故。不知諸佛知見道者。心是聖是智。是覺是理。但空寂體。是知一端。又未真實。如是久修。習練定心。得定中靜。又以非真佛性故。無起時靜。故於定中。心靜空淨起故。定時心散。生平有人道之定時起時。心差別非於此。又迷不知心散。是依不得實知見故。還唯心散。是依修禪尚未練。故益修空定。隨修入空。唯見空了。不得實佛知見道。學者須知。勿入此魔。若誤入者。設經劫數。不得知見。魔恐此魔。何為辨達不悟迷魔。趣向見知。一乘道人。見維摩等住不思議解大士。機辨活發。無礙自在。思知見性機辨妙。而專代辨達。行住座臥。唯行機活。久修之故。終得習練。而至得自在。而惟我已得諸佛知見辨自在。心不顧理。理不知諸佛知見道者。是誠是雅。是靜是德。但辨達機德。『是知見一端。而未真實』。

阿難よ、難信難行ですが、このお経を誠実に確りと知りなさい。不信不行の人には非常識的、非理論的な説明である經と見るからです。此の經は最上成佛の直路で有る為に最上者には、必ずや此の理の為に、魔障が発生する事に成るから難信難行です。魔の事とは、四種の魔の大障害が起こります。一に、天魔が作る障魔、二に、外よりの魔、三に、他の魔の外道依り邪見させる魔、四に、自己の中に居る魔の四障害が天魔に依って此の經者の災難と成り、誠に難行で真の難治で不作成佛させる為です。この様に、天魔は常に障難を作り、世間に弘める事を難しく、また幕張したり、世間の人々にとって難しく、又は無縁の人に成り、或いは傍人依り誹謗難を受け、或いは災難に会い苦しい中で生き、 或いは世間の信用ある人に、此經の七佛を間違いですと言われます。或いは世間に弘くく事に依り、此の弘人は邪道行人と烙印を押されます。或いは天子、國王、三公(大臣達)より、此の經のを國に於いて広めることを禁じられます。悲哉かな此の經は魔に依って遮られ、依って弘く通流廣布が出来ない事に成ります。私の佛眼より見て途ても難しい事なので經文字章句を使わずに、此の經理を心心伝印に依り廣く世間の人々に流布し、又方便をもって 觀音等諸大菩薩の能く藏持して此の經卷を留め、私の護念に依り永く不斷にします。阿難よ、此のお経を用いて伝える人は、大力菩薩で真實の行者です。外寄りの魔は二種類在り、一は歸氣斷滅魔見、二は成神鬼界魔見です。之により世の學門は氣の道教を學び、心に依って、天地萬物善果惡果(因果)と十界解知天地五行(創造原理)の萬物・人間・五虫(甲、鱗、毛、羽、裸)皆な氣で造られる事を知らないので、元氣が分散し、心もまた分散し、無心も虚ろに、果報も結果なく惡趣に墮ます。悲しや、此人達は此の聖教を知らず。此の聖教法者は高い地の菩薩で轉輪王と成り、世間の時節の先見して人間を治めます。そして氣造の教えと心造の教えが、佛のく所であり、世尊の教宗であると教えます。無心・無神・無報と後世に出る教えは、外道の自尊心と妄想で作られた教えで、個人的に此れを偽経と発表して無見斷見経にします。『初代駒沢大学学長、忽滑谷天快氏の偽経典論文の発表で、日本での偽作を説く。』轉輪聖者は此の聖教の教えを保護、或いは取り戻して、この國や他の國そして三千大千世界に伝えます。劫の初より諸聖王者達は、皆な高地(十地菩薩行の高い地位)大菩薩で是のお経のが一切の教えを示し、邪妄では無く正しい教として、正善で能く國土を治めて人民の心、此國、他國に慕われます。今後の諸外道者は、皆な個人的な意見で、我の聖教を破壊し。あなた達は私の言うことや、教えることを破るだけの教えですか?前世の聖王が教皇に示すために定めた教えも破った。 それが長期的な悪であれば、それは妄想社会になります。 だから、この人達は私を見ると誹謗中傷する、真理を知らない妄想に迷って逆行して無益で大きな幕でこの教えを覆います。私の教えは全ての民の經道門で、他では無い教えです。世の神道人は一人生の學を成すだけで、来世の死後の事を考えなく、只霊か神に成る事のみ知る。(釈尊より救世の教えが始まる。)生死を離れ出て成佛するを知らず。この教えは、聖王がこの聖教を設定されて世に遍く公布し、遠方の聖者達も同じくしました。だが学問に長けた妄想学者達は、妄想で此れを心と体の修行と解釈して、人々の才能にも妄想を治める事にも役立たず、ただ他教を破壊するのみ。悲しい事に此の人達は此の教えの根本も、聖王がこの聖教を設定した趣旨も知らず、我の解釈は如來の所と違いが無いと、知見するのが成佛道人と論ずる天真本性道を解釈出来ずに中傷します。成佛在法界宮は無く、又佛居十方淨土も無く、惡業の人が居る地獄も無く、皆な是は佛教者の妄語と知見したと論ずる人は、是の理を知らず、甚はだしい愚人で、人々にこのお経を隠蔽します。釋中経典悪魔は四種あり、一に文字博學の悪魔、二に馬鹿な要約文章の悪魔、三に占い師の悪魔、四に難行苦行の悪魔等です。文字博學見魔とは、著文な沙門(僧)が我の諸大乘經の隅々まで文句を分別し、作り解えて、作り傳える講釋での文字、章句、義理などを昭にするだけで、自稱に依る大智多聞強記一切經義通達無暗(総ての佛の説が判る)と論ずるは、其の經の真實道理を知らず、自己心に依る諸經言者、諸言者、自己の心理、非文字義(無意味文章)の侈學で侈才で自画自賛で我の教えを滅して深く邪道に進み入り、悪魔の伴侶に成り、この言が佛語であると察意解理するのは外悪魔です。悲しや此の人は諸佛出世法教化本意を知らず。開悟佛道の知見も知らずに、滅凡業修行もせずに修行を成して、神聖の業と不死行も成して精霊を育ててと、大変な多聞多才で口長けて如來出世の法をしても何の益も無し、是が愚人です。【真實を追及して、文面に依らずに心性を観禅修行が佛道者です。】『還見真實。不立文字。知見心性。作佛道人。』 誹謗中傷を大いにするのが悪魔の徒で、此の經道を何をおいても大遮断するのが邪人識で三世の諸佛でも難治です。人々は菩薩も一佛も無く、亦た一菩薩が只の文字で解釈と多聞で、覺心性と修覺道の悟り無くして、佛道を成して成佛するは、是が愚人で我弟子でも無く悪魔徒である。何の為に経を要約して馬鹿な悪魔で無智な沙門が、我が諸教經中の一要文を示して、深く其の理を表して、多くの私の教えを捨て、是が甚深の法門であるとは、真實でも重要な道でも無い、この様にあれこれ解釈して一切の経を廃捨して、自己が日ましに增信し、自妄して時が立つに連れて、諸佛の廣道を增厭し強烈な個性の執著で次第に入暗に成り、智と覺を捨てる極愚に成り終る人です。諸佛の教えを破壊する邪悪また、諸大菩薩を破壊する此の愚さは此の経を不聞不入で瞋邪を作り、中傷する人で道を知らずに、私の法經を見てわざと壊す。知見道人は是の迷人の解説と要法を妄想であると覺解します。諸佛は是を知見道と見なす。大博学でも如何に愚人の様な解釈では無益、天体天文学者が素晴らしく宇宙を解示しても、何の益が人の生活に有るのでしょう。知見を捨てて悪道に入る。『但捨知見。入惡道。』是の啓発学問が、私の大道を覆い、悲し事に此の人は諸佛修行成事を知りません。一切諸菩薩者は生まれる毎に叡智を増して、世毎に理解を増し、久遠の時より知見の恩恵を受けて、何時も覚醒しています。阿難よ、諸佛は誠に是の愚人を悲しむ事を知りなさい。是の愚人は六通(神足通、天眼通、天耳通、他心通、宿命通、漏盡通)を得る事で、禅定の事で、天魔に化かされて來てるので魔の一念歸信の信仰心の愚人を治すのは誠に難かしいことです。三界の諸仏菩薩も、 何も無い、また、一文だけの意味を持つ菩薩も 理不尽で 重要な句文を保持してるとの修行も方法不明で 、 知恵を愚かにし て無機質で 仏になれるは、そんな馬鹿は我の弟子じゃない。 これが悪魔です。 悪魔に出会い易いのは何故か、それは力の無い禅定で 私の教えでは無いからです。 無知で根性がない人々を変えることに、 過去の仏に助けを求めて 止める事も出来ません。 或いは一仏に帰れと 一仏の詩を保持して、難行に依らず滅罪解毒それを信じさせ教えるのは便利で楽です。破戒や下根の悪い僧には都合がいい道で、聖人の正しい道を開拓するのにうんざりで、船での彼岸を渡るを見て歓喜して、 諸仏の戒律と智慧を捨て 住む事は常に便利な法門です。 諸仏はこの様な法門を止める事も知らず。この様な手法で 善悪の道も都合がいい様に善悪を決めて、最高法規とし、また無軌道で悪い考えをする。 すべての道士を獲得するために、最も素晴らしい方法だと、 馬鹿を雇って 彼の馬鹿の為に講義や会議を設定し、これが最善の方法で 他の法門はすべてが難しく、 この方法だけで 皆な仏になると大いに宣伝します。 普通の人々は下根に依り難行道で 何百万人もの人々の中で 一人でも 成仏する事が無い教えで、一切の悪魔に依って魅惑的な加勢と便利を得て黄泉(霊界)の助けで慢心は日に日に大きく成り、毎日その邪悪な法を広め、成長させます。 すべての愚か者は騙され悪事をして善行を怠り、帰依してとても幸運と思います。 一切のの愚か者は好き嫌いがあり 悪行を好み、 善行を怠る。 一切のの賢者、仏は、此の悪人は 人間でも 仏教徒でも無く、 今の罪悪事を続けて悪趣に浸り生きて、輪廻転生で終わりなく惡果報受け続けて成仏道の大道より断たれます。此の為に耐え忍ぶを怠ります。真面目に戒、定、慧、修、波羅蜜、忍難、忍苦の聖學の教で罪を恐れて悪行を捨て聖道を歩み、然るにこの道が大平安で在り、賢者聖者に頼らずに末永く悪行より離れて直に成仏を得ます。大なる喜びを使い 誰にも安易な教えで、諸佛正法を滅ぼして私の法を廃止して王、法、慈悲、正義等が滅びます。諸仏の法も廃止し仏法が消えます。 だから悪魔が 人々に簡単に魔行を行える様に成ります。道理を知らない故に罪と過ちに親しみ、迷いと妄想に酔って悪魔と欺きを楽しみ父母を遠ざけて、王と大臣も聖者も賢者らを遠ざけ、天の定め避けて運命を観ず。これは将に自己の聖道を然りと壊滅させる邪悪な僧は、このお経を知る知見道人を、甚だ大悪で修行人を誹謗中傷して成仏の直路を知らずと、また大いに迷い惑わされて修行道に留まるのは甚だ難しく、知見道は難解難入で濁惡世の中で是ほどの愚か者は居ない、千萬億人の中でもこれはどに迷いをするものは居ないと邪悪な言葉で誹謗を世間に宣伝して、大いに知見道人を遮断します。悲しいかな此の人は諸仏の超越なる智慧での衆生済度の方便が有るのを知らない。諸仏の方便で先の教えに導き、この因縁で信心を起して佛え近付く事が出来て、徐々にこの恵みで一切のを心に植え付けて行き、仏道に入らせ悟りを開かせて佛知見道で成仏を得ます。阿難よ、よく知りなさい。三宝の帰依者は此の為に旅の中で知見の宝の筏船得ます。(私は真理三年の旅の中でカンボジアで知見の宝の筏船を知りPhra-Auk Taw Ya Monastery Mawlamyine ミヤンマーの僧院でこの宝筏船を得ました。)此の愚かな人は宝の筏船を捕まえる事を知らない。誠に悲しいことには佛知見道の名を隠し三宝道の帰依をせずに、念仏、念法、念僧が真の諸仏の説法と愚かな僧の心の念は、邪念んの為に三宝法の念も邪法になります。 此の邪法での修行のために悪魔道に落ち込み,自己の悪魔道に依り墮魔に成り自他共に仏法を破壊する為に三宝えの帰依を破壊して、地獄に落ちた悪魔悪邪類の中で最悪の無間地獄の大火坑に落込み無量無邊数の大劫(大劫〔mahākalpa〕の算法は「劫」80中劫(antarakalpa)が1大劫なので、為に268億7680萬年。瑜伽二卷六頁)の間無量の苦を受けて、佛種が永します。此の愚人を治すのは三世諸佛・一切菩薩でも誠に難しい事です。(私の友人で悟りを得て、兜率天に転生する僧が、大火坑に落込んで、出られたのはKashapa Buddha【Gautama Buddha(釈尊)の前の佛】にダーナ(布施)をしたからと言ってました。是はお地蔵様のお力と思います。)一佛また一菩薩で、此のお経の知見道に依らずに仏に成る道は無いのです。念一如來、念一經句、念一菩薩、の一修行の行での成佛道とは愚で、我の弟子で無く悪魔です。阿難(Ananda:Pali語)が、世尊如何にして此の愚人が悪魔法の悪魔より離れて、佛えの信心帰依に戻れるのですか。阿難よ、此の愚人の慢心を止めるには、佛えの廻向心と自己の愚行と悪行を地獄に落ちて三塗火坑の中で、諸仏有っての大慈悲と思う事の方便によって、我の説く念三宝道の修行が易くして、愚人が三塗から永離出来ます。是の尚慶に依って、我の往淨土者に成ります。誠に不思議な我の法方便で、これに勝る他の道行はない、是の思念、或いは念佛寶、或いは法佛寶、或いは念僧寶と其の念寶に一心に專念して、他の事を思い求めず。阿難よ、この様にして愚人の慢心を止めて、自己の愚人で悪人である事を思いつ只諸仏の大慈悲に回向する方便をもって、我の説く行念三寶道が容易になります。私は愚人!是が更に宜しい、誠に不思議で他人と関わらない勝道で、自己の劣根の理由無しでの勝道です。帰依如來方便の道において、自他共に無是無非で他の道を塞がずに、ただ自身の心の垢を払って念誦に励めば、悪魔衆を退散させます。この三宝での自他共に無罪故に、我の教えが入るので三法を良く念ずる事です。自分が他人より勝は慢心を增上させて、魔行を作り佛行より離れ、諸仏が真実の知見道で自己が他人より勝は魔道です。何故に此の佛の知見者が佛耳を得るかは、自勝他劣生慢心を作らないからです。どんな状況でも佛の方便劣行修は、自分が劣る為に他勝道の悪魔の難行苦行より勝ります。在る沙門が我法で極惡人、及極愚人、亦極邪人、亦諸闡提(仏法を誹謗中傷)、生盲生聾に諸佛神力と諸菩薩力が及ぶこの佛方便での一妙不思議術です。神呪をもって一切の罪人が解得る呪術法が是で、自然に十種の功徳が出来ます。その十徳とは、一に凡夫轉成聖仙、二に罪惡轉成善德、三に闡授轉成解、四に流轉轉成往生、五に魔障轉成賢業。六に病惱轉成治安。七に中夭轉成長壽。八に天災轉成神福。九に怨敵轉成恩伴。十に兵亂轉成靜平其餘尚有無量神驗と宣伝する呪術者が難行苦行をもって、神々しい現象を見せて、邪念上根愚の人や利欲者の世間を歸依さし、あるいは樂驗者が驗術の故に入山林で木を食して種種の難行で心を清めて大神驗を得て世間を驚かせる事で、是の法が諸佛法の中で最上最勝と諸人民を化して 邪道に引き入れます。如來の方便ではなく、是は樂一切の奇怪妄想で邪見に深く沈み、悪魔道に落ちての先は三塗火坑です。自分が奇怪を成して邪悪徒が正道を失い、諸佛大聖道ですと共に奇怪を成し、無法を正道とする誠に悲しい事である。阿難よ、是は諸佛如來の方便で神驗法者の為の物である。第一に欲望の罪人を救う為に、解門に入れて能く救います。是は諸佛が初に五功(智藝性功、智性功、仁勇性功、智勇性功、大覺性功)の真実の設けて、第二に慈悲心の故に現世が天下平安で萬民が安に生きるを欲する故。その後に五功に依り実際の体験で、是は呪の力での自分の功と愚人との比較で、神驗種種奇怪は無益な名譽で、本意の成佛を忘失する体験の瀧水が逆流して山嶽が動き、呪縛鬼神、呪水為湯、これ等は益で、實の無い得です。この様な修行僧は國水を逆流して損害を人々に与える鬼呪の術者は、是を益で佛事の術とする。是の僧は邪驗の悪人である。このお経を読むことが知見道人で無功無德な事をしません。しかしながら馬鹿な道人は、我の功德を知らずに無駄な修行の下劣な淺はかな道で、諸佛の真實正法を遮断します。是が愚人の功徳です。誠に三世諸佛、一切菩薩にとって誠に難治ことで、佛、菩薩、無くしての知見成佛正道の己の修行は、無益で已の成佛道で佛道成るは、愚人で我の弟子では無く悪魔の仲間である。如何にして、悪魔が知見道に障害を造り道人を逸らすかは、十種類在り、一に禪坐不得迷悪魔。二に辨達不悟迷悪魔、三に凡聖不別見悪魔、四に慮難不發見悪魔、五に慮易差路迷悪魔、六に知見不修見悪魔。七に能修不見迷悪魔、八に見空不中迷悪魔、九に見滅不實迷悪魔、十に心教不同見悪魔などの無量の悪魔が見ています。學士の觀察中に禪坐不得迷悪魔に依って落とされない為には、知見に心を向けて一乘道人に成る工夫を凝らして修行禪定を、朝から晚に至るか、夕より曉に至る時間で靜に心を用いる事を、日久年久続けると段々と了見無の物心寂然空の無想無念の此の空を見ます。是の為に佛性道に入り、我禪中に佛知見を得る。更に顧みなければ、諸佛の知見道者に成らず。是の心が聖で智であり、是が覺で理です。ただ空寂體(毘盧遮那身)のみ。是だけでは真実で無いので、そのままにして久しく修行を続けて心が定まる習練で定中靜を得る。未だ真佛性で無いので、時靜が起らず。此の為に定の中で心靜空淨が起る為に定の時に心が散します。生活の中での定時、起時に心の差が有り、又迷いで心の散らんを知ら無いので、真の知見を得ずにただ心の散乱に依り、禪なお修未練の為に空定の修行は入空に益して【空了見】。本当の佛知見道の不得の學者は是を知りなさい。此の悪魔に近付く事なかれ。魔入者は誤りで經典を數劫の学習でも知見を得ず。此の悪魔を恐れて如何に博学でも悪魔に迷どわされてを悟を得ずに、趣味の知識を求める。一乘道人の維摩大士は、等住【謂即最初所繫縛心,其性麤動,未能令其等住遍住故。次即於此所緣境界,以相續方便,澄淨方便,挫令微細,遍攝令住;是が[等住]、瑜伽三十卷九頁より】の不思議解【五次元の不可思議な空間宇宙世界】を見て、機辨(学問的応用)が活發で、無礙自在、思知見性機辨妙、をもって專代辨達(専門的な博学)であります。行住座臥で唯に機活を行い、久しく修行をして習練を終得し、自在を得る。我が得た諸佛知見辨自在と同じく、心での理屈では無い。理で諸佛知見道者を知る事は出来ません。是誠是雅、是靜是德、で有り辨達機德です。これは知見の一部で真実に至らない『是知見一端。而未真實』。

【天鬼領氣障魔十。一高智破戒報魔。二持戒輕智報魔。三修定著怪報魔。四智戒四見報魔。五依寶不法報魔。六妙解無報報魔。七智行慢心報魔。八有智無質報魔。九表學誑人報魔。十長辨樂輪報魔】。外道邪見障魔二。一歸氣斷滅見魔。二成神無果見魔。釋中邪解障魔四。一文字博學見魔。二肝文要約見魔。三易行倦厭見魔。四難行奇怪見魔。知見差路障魔十。一禪座不得迷魔。二辨達不悟迷魔。三凡聖不別見魔。四慮難不發迷魔。五慮易差別路魔。六知見不修迷魔。七能修不見迷魔。八見空不中迷魔。九見滅不實迷魔。十心教不同迷魔。

天の鬼領の氣障(障氣で多喑,風氣で多聾)悪魔十とは。一高智破戒報悪魔、二持戒輕智報悪魔、三修定著怪報悪魔、四智戒四見(四見: 一、執有二、執無三、亦有亦無 四、非有非無〔佛學次第統編〕より。)報悪魔、五依寶不法報悪魔、六妙解無報報悪魔、七智行慢心報悪魔、八有智無質報悪魔、九表學誑人報悪魔、十長辨樂輪報悪魔です。『天鬼領氣障魔十。一高智破戒報魔。二持戒輕智報魔。三修定著怪報魔。四智戒四見報魔。五依寶不法報魔。六妙解無報報魔。七智行慢心報魔。八有智無質報魔。九表學誑人報魔。十長辨樂輪報魔』外道邪見障悪魔は二つ有り、一に歸氣斷滅見悪魔と二に成神無果見悪魔です。釋中邪解障悪魔は四つ有り、一に文字博學見悪魔、二に肝文要約見悪魔、三に易行倦厭見悪魔、四に難行奇怪見魔です。知見差路障悪魔に十有り、一に禪座不得迷悪魔、二に辨達不悟迷悪魔、三に凡聖不別見悪魔、四に慮難不發迷悪魔、五に慮易差別路悪魔、六に知見不修迷悪魔、七に能修不見迷悪魔、八に見空不中迷悪魔、九に見滅不實迷悪魔、十に心教不同迷悪魔です。

往生品第七

白佛言。世尊四十餘年所經中。『常應念應稱佛名。如藥師佛阿彌陀佛。以心相念。以相舌稱。得何功德』。佛言天王有四種義。一者親近大聖。二者願樂聖□道。三者加受聖助。四者因緣聖入。以如是義。功德大。白佛言。『世尊復常念觀世音菩薩。文殊師利菩薩。普賢。彌勒』。是亦云何。佛言天王。念觀音此菩薩從耳根圓通。起大智慧。其智慧體。即大慈悲。其慈悲心。即大行願。是即一切諸佛道體。一切眾生如是行道。念文殊者得大智慧。念普賢者入大行願。念彌勒得者得大慈悲智。悲行者。佛道大綱。過去諸佛。現在諸佛。未來諸佛。東西南北上下諸佛。及其大法。『無一入悲智行。佛法無一如來非智行得成佛者。無一眾生非非悲智行當成佛者』。若智悲行外有一成佛之法。是外道。非七佛。十方三世一切諸佛。一切菩薩。為智悲行。難行苦行。度自化他。已成佛道。當成佛道。無有一佛及一菩薩不自修行智悲行道。而依他佛他菩薩力得成佛道。若有不自修行功。依他力。得成佛道者。是波旬。非。佛。白佛言。世尊何故。修諸善功德及觀佛稱名。往生淨土。其故云何。佛言天王。初心菩薩。及下根士。大恐於此娑婆國。行六度萬行。及修開悟佛知見道。或有倦勞。或有退轉。以佛方便。淨土成就根力而還。此土欲令成滿萬善大行。而此義。於如是類修行人中。有二種機。一者今生得利勝義。二者後生得利劣機。何為今生得利勝機。初心中有利根敏慧。開見經道。即解彼佛阿彌陀及我釋迦佛。建願示誨。勸往生者。是即諸佛善巧。所以不得止。其真實。為令諸眾生修行普賢大道是也。不求往生。即向普賢大道而行。即成大根菩薩。或有菩薩為往生故。觀佛身時見己身了。是心是佛。悟是理時。頓知此土時全是淨土。不轉是身。即是佛身。應時知得。成就根力。不借往生。真行方善。或有菩薩。為往生故。修行念佛者。不可得具十大心念。如已前依彌勒菩薩問之所答。是十念者。一切菩薩修行本念。為念佛故。『常修十念。念念通徹於十念者。即得成就菩薩大行。不借往生。直行萬善。或有菩薩。為往生故。「修行三心」。無暴。無散。無亂。無垢。無邪。是得至誠心。於其心相。無偽。無欺。無焰。無妄。無疑。無貪。無瞋。是施是戒。是智是理。是慧入悲。是敬是讓。是義是理。【是觀音心。是即佛心】。得大深心。於其心相。無麤無動。無散無亂。無卒無暴。無暗無迷。是忍是定。是慧是覺。是見是辨。是明是審。是慎是慮。【是文殊心。入即佛心】。得發願心。於其心相。無厭無倦。無懈無休。無退無轉。無放無逸。是進是方。是願是力。是勇是猛。是活是發。是格是致。【是普賢心。是即佛心】。是三心者。菩薩真行。心心成就。即得大道。不借往生。直行萬善。或菩薩能知佛慮。能聞佛。為往生故。修往生行。聞唯稱佛名。修有福者。皆得胎生。或宮殿中。或蓮華中。經五百十二劫。不見佛身。不聞正法。若有開悟五大智者。即得化生阿彌陀佛大菩薩眾。圍繞住所寶座之上。即見如來。即聞正法。即發信心。速解五智。所謂佛智者。心佛眾生。圓通根本。普賢菩薩法界大智。不思入智者。菩薩所住。不思議解。□□菩薩大權方便自在大智不可言智者。真空妙空。文殊菩薩般若大智無等無偏最上勝智者。諸佛知見。『觀音菩薩一乘大智。往生修行菩薩。欲得彼化生故。修行五智。阿彌陀佛以本願力。加被開悟。如是五智。即證諸佛無上大道不借往生』。直行萬善。如是四輩名為今生得利勝機。何為後生得利劣機。若有下根愚痴菩薩。雖見如是諸佛方便。不解不覺。不志菩薩大修行道。唯念著於彼佛國土快樂長壽。愚人是也。或有菩薩。唯稱名號。一向專念無量壽佛。一心不亂。唯入此道。不見他人是非好惡。不思他法勝劣高下。不對住他行。毀譽信難。不向他教遠近向背。唯恐自己罪咎邪惡。唯懺自已散亂麤動。唯責自己無道無法。唯愧自己不正不和。『修一心故。自然成善忘欲。亦忘邪見。及忘邪智。無罪無逆』。自然作成孝養慈悲柔和質直安樂之心。命終時至。遠離諸執諸著。即離生死。往生極樂下品蓮華胎生之中。無苦無惱。安樂歡喜。經多少劫時開蓮華。即見彼佛無上相好。即聞彼佛一乘法。漸開聖悟。次得聖位。或有菩薩強欲強惡。常作殺生。深著肉味。盜他財。大求富福衣服殿屋。美色亂行。憂悲短命。強求長壽。欲無頂。不知世理。暗心迷倒。聖人下教。賢人示化。尚不云何如是愚人。隨於其人。其性其意。聞極樂世界妙事百寶莊嚴。寶珠充滿。百味飲食。甘露湧勃遊行自在。無不隨意。菩薩眾生。壽命無量無數沙劫。神仙不及。人相好妙美。口天女。歡樂無盡。無晝夜春秋不來。無寒無熱。如仙宮年。尚於彼宮。出無對。言語道斷。心行所滅。令諸愚人欲所欲達願樂往生。漸漸增進佛境界。樂改惡行。善合於聖道。遠離邪毒。現世安樂。命終如願。即往極樂。蓮華胎生。時至開華。見淨土相。出人間仙宮天堂。所願滿足。修菩薩行。終至菩提。如是二輩。名為後生得劣機。

天王の質問で、世尊は四十餘年所經の中で、何時も良く念じて佛名を唱えなさいと言われます。如藥師・佛阿彌陀佛を心に相念相して、舌で稱える事で何の功德を得るのですか。天王よ、それには有四種義有ります。一に親近大聖、二に願樂聖□道、三に加受聖助、四に因緣聖入の是の義での大功德です。それでは、世尊が何度も繰り返し説かれる『常念觀世音菩薩。文殊師利菩薩。普賢。彌勒』何故なのですか。それは、觀音菩薩の念昌で耳根に圓通して大智慧を起し其の智慧體が、大慈悲で有り慈悲心でなので、大行の願が一切諸佛道體なので一切衆生の修行道で、念文殊者での大智慧も、念普賢者の大行願いも、念彌勒得者の大慈悲智も慈悲行者であり、佛道の根本で、過去諸佛も現在諸佛も未來諸佛も東西南北上下諸佛も其の大法に依るからです。悲智行無くして仏法は無く、一切の如来も此の智行で成佛者に成り得ます。(身口意の真髄が此にあります。)『無一入悲智行。佛法無一如來非智行得成佛者。無一眾生非非悲智行當成佛者。』この智悲行の外での成佛の法を説くのは外道の説く所で、七佛のでは無く十方三世一切諸佛も一切菩薩も智悲行での難行苦行で自己が渡り他をも渡します。この成佛道が本当の成佛道です。自修行無くしての智悲行道では、一佛及び一菩薩も存在しません。

佛力菩薩力に依り成佛得る道を、不自修行の功の他力での成佛を得る道者説は是は波旬(大悪魔)で、佛の説では無い。それでは、世尊何故に修諸善功德及觀佛稱名が往生淨土になるのですか。天王よ、初心菩薩及下根の士は大変に恐しい此の娑婆國での六度(波羅蜜)の萬行及び修開悟佛知見道の修行は、倦勞或いは退轉を防ぐ為の佛方便で淨土成就根力をもって還此土の欲令を成す滿萬善大行の為である。是の類の修行人の中で、二種類有り、一は今生得利勝義、二は後生得利劣機が有ります。何故に今生で利勝を得るかは、初心中に敏慧が有る利根の為に開見經道で、彼の佛阿彌陀及び我の釋迦佛の建願示誨を即解し、往生を人に勧める者は、諸佛の善巧が間違いない真実の説と、為に諸衆生修行の普賢大道で有ると、往生を求めずに即向に普賢大道を行い、即ぐに大根の菩薩に成り、或いわ菩薩の為の往生が有ります。佛身が己の身と見る時に觀が出来て、是の心が佛の悟での物事をして、此の土景全部が淨土であると確りと知ります。是の身が佛身と迷わずに知る時に根力が成就します。往生を惜しまずに真の奉善行をし、或いは有る菩薩の為の往生するとの、修行念佛者は具十大心念不可得です。この事は前の彌勒菩薩問の所で答ました。是の十念【念佛、念法、念比丘僧、念天(弥勒菩薩)、念戒、念施、念處寂靜、念出入息、念身、念死】者は一切菩薩修行の本念〖慈悲心〗で念佛の故に常に十念行をし、念念と通徹する十念者は即得菩薩大行を成就し、不借往生を惜しまずに直行萬善して、或いは菩薩の為の往生の故に修行三心〖信・普賢心、智・文殊心、悲・觀音心〗無暴、無散、無亂、無垢、無邪、で誠心に成ります。其の心相で無偽、無欺、無焰、無妄、無疑、無貪、無瞋による戒で智と理と成り、是の慧(心理を知る力)で入悲して是が敬、是が讓、是が義、是が理です。是が観音の心で佛心です。【是觀音心。是即佛心】此の大深の心を得、其の心相で無麤無動、無散無亂、無卒無暴、無暗無迷、是忍是定、是慧是覺、是見是辨、是明是審、是慎是慮が文殊心で即に佛心え入ります。【是文殊心。入即佛心】此の發願心を得て、其の心相で無厭無倦、無懈無休、無退無轉、無放無逸、是進是方、是願是力、是勇是猛、是活是發、是格是致が普賢の心が佛心です。【是普賢心。是即佛心】是が三心者で菩薩の真行です、心を良く成就させて大道を得ます。往生をおしまずに直行萬善をして、菩薩は良く知佛の配慮を知り、良く佛を聞く為の往生が 往生修行で、くを聞き佛名を称えるのが有福者の修行で、皆な宮殿に胎生、或は蓮華に化生します。御經を五百十二劫読んでも不見佛身、不聞正法ですが、浄土では五大智(大圆镜智、平等性智、妙察智、成所作智、法界体性智)の開悟者は阿彌陀佛大菩薩衆に即に化生します。住む所の寶座の上で如來を拝して、正法聞き真に誠の信心で五智を速解して佛智者と成り、心佛衆生の圓通(法性)根本の普賢菩薩法界大智の思考での無い智を得る者と成り菩薩に住す。不思議解法門(五次元世界)は菩薩が大權方便自在大智を言葉では不可の智者と成り、真空妙空の文殊菩薩般若大智無等無偏最上勝智者である事を諸佛は知見します。是が觀音菩薩一乘大智で往生修行菩薩の欲する浄土で、化生して修行五智の阿彌陀佛の本願の力で開悟する所の五智で、證諸佛無上大道に往生に惜しまず『觀音菩薩一乘大智。往生修行菩薩。欲得彼化生故。修行五智。阿彌陀佛以本願力。加被開悟。如是五智。即證諸佛無上大道不借往生』に直行萬善して、四輩名に依って今生において勝機利を得ます。後生は劣機得利で下根の愚痴菩薩で諸佛方便を不解不覺して、菩薩大修行道に進まず、只に念佛して極楽浄土佛國土での快樂長壽修行は愚人である。或いは菩薩が一向專念で無量壽佛の稱名を一心不亂に此の道に入り他人の是非好惡を観ず、他の法勝の優劣を思わず、他人の名誉棄損を指さず、他の教から背を向けて近依らずに、自己の邪惡の罪を咎め、自已の散亂麤動懺悔し、自己の無道無法を責めて、自己の不正と不和を恥じる事で、一心に修行して自己の本性が欲望を忘れて善行をして、そして邪見も邪智も忘れて罪を成さず、反逆せず。『修一心故。自然成善忘欲。亦忘邪見。及忘邪智。無罪無逆。』自然に孝養・慈悲・柔和・質直・安樂・の心を作成して命の終る時に諸執・諸著から遠く離て、生死を離れ(修行中に六生前以上の自己の生と死を観る時にも生死を離れます。法随観禅の科目)極樂で下品蓮華の中に胎生し往生します。無苦無惱の安樂歡喜での多少劫を時を経て、蓮華が開く時に 阿弥陀佛の無上相好を即見し、彼佛のかれる一乘法を聴きます。少し少し悟りを開いて次の聖位を得て、菩薩の強欲強惡、常作殺生、深著肉味、盜他財、大求富福衣服殿屋、美色亂行、憂悲短命、強求長壽、欲無頂、不知世理、暗心迷倒らの心が聖人の教に依り賢人に成って、尚この様な愚人に落ちずにその悪気性と悪意志にも成らずに、極樂世界妙事百寶莊嚴で説法を聞きます。其処では寶珠が充滿して百味飲食の甘露が湧き上がり、気持ち良く遊行自在の菩薩衆生は壽命無量無數沙劫です。神仙も及ばない人相の好妙美の口天女達は、歡樂が尽きることが無い晝夜で春秋の季節で、寒さ熱さが無い仙宮殿での時を過ごします。絶対に間違ってる言語道斷の心行を滅して、諸愚人の欲する欲達願樂往生を段々と佛境界に、增進させて惡行を改めて樂にして、善を以って聖道行に向かわせて、悪邪毒より遠離して、現世で安樂命終の願がかなえられ、極樂に行き蓮華胎生の時を経て開華し、淨土の世界を何所からもなく、人間仙宮の天堂を見て所願を滿足して、菩薩修行して菩提に至る二つの輩です。是が後生得劣機です。この様に人に依って、二種類の利得が有ります。大利益の諸佛如來は他の佛土で往生をして、自己の愚痴無智、知らない道理、闇の心や解聖教義理の理解を忘れるを取り除いて、自分に勝ちいて他の劣る人に教える為に、愚かな仲間になって此劣行為に勝つ其の最上勝行で、正法の誹謗中傷を除いて如來本願を取り戻す為がその本心で、是が阿彌陀佛常の[一乘]です。常に一乘の心で一切衆生等の為に下方して、悟の一乘妙道で劣悪行を止めるのが其の本意で、常に心を守り固めて娑婆世界修行大道で、極樂住安修行を行わ無いのが本意で発弘願(46年、未だに恩師印幻先生に勧められた発弘願が出来ない、愚鈍の私です。)を得るのが一心の往生で、愚人は此の修行が耐えられないので、やめる事がないように往生願を立て阿弥陀佛を心で念ずる娑婆安養の思いは一通平等で此界と他界隔たり無く、違いも無く阿弥陀佛を心で念ずるのも、浄土でも此処でも隔は無い、なぜなら一佛も衆佛、衆佛も一佛(一切一中、一中一切)で法身の一體の他に差も無し、人でも大君でも無我は同じく、而念ずる自分も念ずる他人も同じで心に差は無し、何所においても果滿の如來地で有り、梵王の果報はなお清淨で天上天下に見える如來の地の果滿も違いなし。この時に阿難が、世尊が己の前に言われた、光明遍照念佛衆生とは? 阿難よ、此の光明の照(禅相・nimitta)に念我念他に差別なくその心を照す衆生の觀佛三昧での三昧(Samadhi、定)で良く成見します。是の心が佛で法身を理解出来きるので、一乘道を歩めます。法身の光明は常に十方を障りなくなく照し、自己心と法身光明が合わさり自燈明に成ります。是が阿弥陀佛の因地本願で、此れを捨てずに取得しなさい。それでは、世尊。菩薩成就の觀(Vipassana)佛十念三心五智を如何にして成就し、その菩薩は永く此土に留まり、往生淨土を求め無いのですか? 阿難よ、その菩薩は佛の居ない世界で如來を戀慕し、他方の淨土での生れてを欲し得て佛を拝見して聞法をし、法樂を受ける樂者でその法を成就する者で、即得往生を他方の淨土及び都率天で生れ、この極樂者は即得の往生上品上生で、尊阿彌陀佛觀音勢至一切菩薩を拝見して一切佛を即遊見して正法・妙法華經・華嚴・般若一切の大乗を即聞します。都率天者は四十九重摩尼寶殿に往生して、親我たる牟尼佛、阿彌陀(拘留孙:: Krakucchanda: Kakusandha)佛、阿閦(拘那含牟尼:: Kanakamuni: Koṇāgamana)・寶生(釈迦牟尼:Śākyamuni : Gautama)・藥師(迦叶:: Kāśyapa: Kassapa)佛等を直見拝して、供養教主を即見して、彌勒、觀音菩薩、普賢菩薩、文殊、地藏、維摩詰及び虗空藏等の難見な菩薩及び不動威德夜叉三世難見明王を拝見供養し、又辨才吉祥、多聞王等の菩薩大天を拝見供養します。そして摩阿迦葉、舍利弗等、菩薩や聲聞を拝見して大乘の成佛法聞くとなり。それでは世尊、都率天に入養し安往生土を得るのはとても難しいのでは? 阿難よ、都率天宮には世界創生の取り残した土地が有り、一切凡夫が修行十善をして彌勒を念彼すれば、即に往生します。藥師佛を念ずる、觀世音・普賢・文殊等を念ずるも同じくなります。一切の諸佛が此の宮中に常在して、一切凡夫が常に諸佛を拝見する此の土地は、三世諸佛の補所土であるから故に、極樂世界淨瑠璃土が此の宮中に有ります。維摩(不思議解脱の法門を使い)が東方歡喜國土に入り其の時空で未完成の土地を斷取し、また阿閦如來が在る時空でも未完成の土地を斷取したので、弥勒菩薩が娑婆世界に下生した時に、其の土地は本還(エネルギー不滅の法則に依る:現代物理学の根本)します。是の宮殿が補所土で三世諸佛が常住するので、今の所は本所に還えりません。是の理に依って凡夫が往生都率天が易いのは、安養世界の無漏(取り残した)土が未完成に依るからです。比丘が居ないのは取り残しの、完成の無い修行道なのと安樂土の大乘土に依るので、比丘が往生するのは難しい事なのです。一切凡夫には依の二つの生れが有りこの二生とは、阿彌陀佛本願力の方便功で、蓮華を造作し九品(色々な因縁の衆生が)華中胎生しています。上者は一宿り、下者は十二大劫の中に功德の大小多入或いは、罪障輕重多少で蓮華開に多少の遲速が有り不同でその二生の内の一者は命の終る時に、此の土生において蓮華の中に入り、此の蓮華者は浄土での蓮華中者といえど、多少劫を経て自然に諸佛大道で先罪を懺悔して已の罪が消滅して自然に開悟し修行大道の為の一生の大道行の終わる時に合体して蓮華が即開して、其の時に本当に安樂世界に生れて阿彌陀佛、諸大菩薩の住む所に往生します。為に是が二生で九品の外有一生で此には四輩有り、一者は修行六度(波羅蜜)で開悟發智して菩薩道人となり、彌陀佛の前に直生します。二者は大阿羅漢成就で不転退の心の發願の大乘道心で亦た其の修行道で、阿彌陀佛の前に直生します。三者は未に盡諸漏も六波羅密も得ず、法華一佛乘典を但し受持して、説のように修行を随分し佛智見を達得に於いて開示悟入し、彌陀佛の前に直生します。四者は無上神呪の毗盧遮那、阿閦、寶生、不空、成就阿彌陀佛、三世諸佛等の、一同總持神便呪術をして、諸秘神呪、諸佛秘呪の所呪の呪成して、是を能く成します。是は諸佛の私助私成の呪の法成で無く、呪惡成善、呪迷成覺、呪罪成福、呪凡成聖、呪障成淨、呪難成易に於いての呪力者で有り、一切諸佛力の及ば無い所を意念で圓月中座五佛毗盧如來の放黃色光、阿閦青光、寶生赤光、阿彌陀白光、不空紫光を右手で五色光印を能く作り、口誦での神呪光明真言で呪自呪他を即成法身(即身成仏)で、彌陀佛の前に直生します。是の呪往生は一切善人惡人智人愚人を選ばず、佛力の不及ない人を呪力で成します。唯し、過去世に於いて一障の有る不結緣者、不殖因者の不遇此呪者に於いて遇呪を以って、不發信心、失大利の是の惡人の為です。世尊、不五佛諸佛とは、又有る惡人が此の呪を聞く力の功での呪力の故に悪い事もするとは? 阿難よ、汝の言葉の理の故に諸佛の秘密を妄想しない人に教えます。宿善に依って此の呪を得遇し、是は信心の呪に依る三密(身口意)力で、自然に惡を忘れて、自然に罪が去り、心身が清淨する善人を作ります。【信心持。依三密力。自然忘惡。自然去罪。心身清淨。作善人也】。世尊の前のでは、十念(念仏、念法、念僧、念戒、念施、念天、念休息、念安般、念身、念死の修行法)生は下品下生の為と今の十念は化生往生為とは? 阿難、前のは臨命終の時に依る知識の教で、具足十念は日々の惡逆の時の功少の故に往生は下品下生であり、今のは常に修十念で至十念道の道人に至る故に往生は寶座の上で成る。それでは、世尊の阿彌陀本願で五逆生及び謗法生者は除くと、ここでは下品下生人者は謗法五逆は皆な往生を得るので、差別が何処に有るのですか? 阿難よ、阿弥陀の本願は是れ皆な彼の佛の往生法で成るを聴き落とした、「彼の如來念が我の佛を曲げて、今の逆罪」が惡人の往生で、是は不當理と考えるのでは、阿彌陀佛は不成就願、不成佛道の應墮無理罪過の中で非大聖で下品下生の人に依る智識の教です。誠に至り先惡先罪を懺悔して一切の惡を捨て清淨成る改心で正心に成り、具足十念で改めて新人に成り、是の人が本当に正心で無罪を知って善人の仲間に成り、是で自から往生して私的な佛で無く、また如來の加被力の者として、是が善人の徒と成ります。この人が佛の加被者で無いのは、凡聖の論では無い。一生の人生において、善人の人生を送り、都率天宮に行き易く平安無事が聖者の論です。この人生の二つの生き方で、惡人生で以って、平安世界に易くの都率天難しい。但し呪に依よる三密行の実践一乘道は佛の知見者で平安に都率天に生き易くやすく問題なしです。世尊、三密行呪の下凡の夫下愚能としての堪修行に於いて心月者はとても耐えられないとは? 阿難、真言行人に四種根があり、それは上智行人の三密行だからです。

薄伽梵在楞伽山中。為大慧菩薩等天仙大眾。極大乘法。佛告阿難。汝等人天實欲成佛。【當直修如來真實禪。治身治口治意】。以其散亂者。能入自覺聖智境界。成就無上佛身。阿難當知。其禪那者。以三種義。成就其體。一者工夫法相法理。解除邪理。證致正理。二者攝取聖道。正心解治放心。證得道心。三者會感三昧覺道解。轉凡質證成聖果。佛告阿難。是如來禪有前方禪中得道禪後真實禪。云何方便禪當觀毗盧遮那佛空理一道身。是此毗盧遮那如來。法性虗空體法界身。遍一切界。佛告阿難。先欲觀如來虗空體。當□觀得自己一切心體。無相離。寂滅空莫。而無一毛。『我(我所有)是一虗無佛法身。觀之了令心為空真際體。而得一切無動境。是為定成。能入畢者。離一切煩惱。永無歸生死。是名前方便禪。亦名大乘初門入道觀』。佛告阿難。云何中得道禪。菩薩欲觀如來法界身。當觀自己一箇心相。元來妙理。圓滿微塵藏海。而自成自覺聖智體。常樂我淨德。此有五菩薩德。當修行是如來禪道。云何五菩薩德。今思過去無數大劫。於阿彌拏之阿彌拏。劫前之阿僧祇之阿僧祇劫前。出世阿彌拏之阿彌拏諸佛。阿僧祇之阿僧祇諸佛於其諸佛。有一毗盧遮那佛。【此毗盧遮那佛一躬。分定慧身成二菩薩。第一智慧身菩薩。其名曰應聲菩薩。是毗盧遮那佛右身分也。第二禪定身菩薩。其名曰普賢菩薩。是毗盧遮那佛左身分也。應聲菩薩。依智慧本體。分理智悲三體成三菩薩。元身理法。是應聲菩薩也。右手智慧。是空藏菩薩也。左手慈悲。是地藏菩薩也。普賢菩薩依禪定本體。分智行二體。成二菩薩。元身行願。『是普賢菩薩別身知見。是文殊菩薩也』。應聲菩薩住行願。西方主東方慈悲普賢菩薩。住慈悲。東方主西方願空藏菩薩住智慧行。南方主北方儀業。文殊菩薩住儀業。北方主南方智慧。地藏菩薩住誠信。中央主四方德用。故是一菩薩娑婆有緣菩薩。【此五菩薩法身自體周遍法界。故等流。而成人天眾生五理性心】。云何五理性心。一釋迦理性心菩薩當觀自己元心。有一箇大慈大悲心。是諸佛心。是諸天心。世間有善人。是天地順生。人世能饒益世間。為是人生慈悲。是自然理性具心也。束諸心成愛和心。束諸業成撫育業。是心是業。純善心純善業也。世間有惡人。是天地逆生人也。會災厄苦害。為是人生悲心。是自然理性具心也。束諸心成惻憐心。束諸業。【成救濟業是心是業。純善心純善業也】。向父母成孝。向子僕成慧。是心最上善心也。此心為天之性。而覆葢育養萬物。能練熟此心。成常恒不變之位。是為定成二阿施理性心。菩薩當觀自己心理。有一箇義理堅固心。為是菩薩行。是天眾道。一切世間皆依義正乎而立。依道理而利。是心是道心。是理是道理善人依之得利。非於義理心有利心。道理自有利。惡人為焉被尅。非於義理心有尅心。道理自為尅。是心向君主成忠。向眾倫成宜。此心為天之體。而堅同保持。能練熟此心。成常恒不變之位。是為定成三尸迦理性心。菩薩當觀自己心理。有一箇敬儀節格心。是上天法是眾聖法。其體常不變。其用應於時。大梵王。天定是法於天。金輪聖王。定是法於地諸佛。定是法於法界。菩薩定是法於人常。是心是正心。是法是正法。是心能成世間方法及天地之尊卑上下位。能緣熟此心。成常恒不變之位。是為定成四般若理性心。菩薩當觀自己心理。有一箇智慧照明心。是諸佛光。是諸天明世間有山原谿谷河海橋船。無光明。則何行往云。人間有物事是非萬法迷悟。無智考。則何執行云。多大少小。皆智慧之任也。能練熟此心。成常恒不變之位。是為定成五曇末理性心。【菩薩當觀自己心理。有一箇誠信道源心】。是薩埵德道。人依世間出世。失此誠信。[則一切萬法無得其據。上四心]。皆得此地而為位。能練熟此心。成常恒不變之位。是為定成。佛告阿難。所謂釋迦理性心。以大慧大宥為事。又有阿施理性心制之。而不救令釋迦理性心恣慧恣宥。阿施理性心。以尤成敗為事。又有般若理性心制之。而不赦令阿施理性心恣成恣敗。般若理性心。以廣計遠識為事。又有尸迦理性心制之。而不赦令般若理性心恣計識。尸迦理性心。以專讓專節為事。又有曇未理性心制之。而不赦令尸迦理性心。恣讓恣節曇未理性心。以偏實唯同為事。又有釋迦理性心制之。而不赦令曇未理性心。姿實姿同。如是有互互制詰之理。而不赦毛端之妄。佛告阿難五理性心。得其互制。居其本位。合本理而不亂。譬如轉輪聖王城。堀石石相疊。而互制之。互詰之以不散亂墜落。而城形堅固德。五理性心。如是互制互詰。不令過分。不令不足。於是釋迦居善。阿施居宜。般若居理。尸迦居真。曇末居道。而各位矣。世間悉依之。大保建立。佛告阿難。【是此五理性心者。唯一心也】。共有共無。唯其有以為其成。又其無以得其善耳。如環無端。能觀其元體。而成堅固。又其應用而成。正明以使物事無量。皆致善也而已。如是五理性心成就者。下品在人間。修賢聖道利自利他。令世界安樂。導眾生於菩薩道中品入神仙。修菩薩道。化龍鬼妖魅導佛道。保護世界。上品生天宮。修菩薩道。保天鎮地。利益眾生萬物。最上品不定。或交地獄餓鬼畜生。或住人間神仙天宮。或住他方諸佛淨土。分身無量。現形無數。而行佛道。【自利他益。佛告阿難如是善心】。尚有制詰。成真善也。況於惡心。一切惡心。皆為五理性心。被制詰不能生發。佛告阿難。生發惡心。惡事有二源。一名善過源。二名虗無源。云何善過源。五理性心。偏過於一以不五者並在。亦復一一長過。不五者制詰。則其佛性之理性。為無明妄氣。遂被漂侵。為妄過。速成惡心。其慈悲者。成愛著心。其義理者。成憎害心。其智慧者。成侫姦心。其敬儀成謟媚心。其誠信者。成偏頗心。大損聖道。譬如療病人。服藥治病。而過服。以還病藥毒。云何虗無源。以五理性心。不至常成。而忽放之。則於其間隙。即生貪悋瞋恨愚惑妄想等邪意。若生此心。則此心速成就惡作。身成殺害盜婬亂謾儀等邪業。口成惡口兩舌妄語綺語等邪言生而破人。損身耻名。亡子孫。滅倒家門。死而落地獄餓鬼傍生修羅。終無離生死輪迴憂悲苦惱。汝等世。如出世六通聲聞緣覺及世間五通天神仙鬼等。若見掌中安羅果。始終森羅故。不可委。如是悉觀世間微塵。得一切無惑一切成德。位是為成定。是名中得道禪。亦名大乘中中常修道觀。佛告阿難。云何後真實禪。菩薩欲觀如來全體成佛身者。即以應聲菩薩釋迦心。修智禪離壽者相得樂。德盡心意識有為。至無量壽佛果。證妙觀察智。住無緣慈悲。以普賢菩薩阿施心。修聖禪。離眾生相。得常德。盡阿羅耶有為。至阿閦秘佛果。證大圓鏡智。住無作行願。以空藏菩薩般若心。修自禪。離我相。得我德。盡我我所有為。至華開敷佛果。證平等性智。【住無得福德。以吉祥菩薩尸迦心。修覺禪】。離相人。得淨德。盡五根大識有為。至天皷音佛果。證成所作智。住無相知見。以地藏菩薩曇未心。修如來禪。離法非見。得波羅德。盡無明惑有為。至大牟尼佛果。證法界體智。住無漏覺果。三世諸佛皆依此道。轉因成果。取正覺名如來應供正遍智妙行足善逝世間解無上士調御丈夫天人師佛世尊。是名後真實禪。亦名大乘終室得道觀。佛告阿難。是修成佛禪者。下品行者。初發心時。便成正覺。住凡夫地。即悟成佛。中品行者。得成三時。入普賢道。上品行者。是名一生補所。最上品行者。即是三世諸佛。佛告阿難。修是如來禪者。於前中後位。雖未得實行實證。世間者。治人間道。下品道者。得善人位。中品道者。得賢人位。上品道者。得聖人位。現在明德。後生天宮。出世者。治沙門道。【下品道者。得善人位。中品道者。得覺悟位。上品道者。得三昧位。現在妙異。後生淨土】。佛此經已。一切菩薩聲聞天仙鬼。一切人民大歡喜。

大梵天王問佛決疑經

薄伽梵(梵語भगवान्,Bhagavān巴利語:Bhagavā、大黒天の尊敬語)が居るスリランカのスリパーダ山中で大慧菩薩等や天仙大眾の為に、世尊は極秘の大乘法を説きました。阿難、汝ら人間や天神が實欲成佛の宝を望むなら、如來の真實禪を本当に修行しなさい。此の修行で、身を治し口を治し意を治します。【當直修如來真實禪。治身治口治意】是を以って散亂者は、自覺聖智境界に良く入り、無上佛身を成就します。阿難よく知りなさい、其の禪那(Janna,禅定)者は三の種類の義で其の體を成就します。一つは工夫法相の法理で邪理を解除して正理に證致します。二つは攝取聖道の正心で放心を解治して道心を證得します。三つは會感三昧覺道解で轉凡質證成聖果にします。阿難よ、是の如來禪は前の禪中での禪道の後で真實禪を得ます。方便禪は毗盧遮那佛空理一道身を当に觀て、是が毗盧遮那如來の法性虗空體法界身で、一切の大世界に遍く広がってます。阿難、如來の虗空體を觀たければ、自己の一切心體(NamaRupa)を觀(Vipassana)で得なさい。無相は離して、寂滅空莫(絶対空)の一毛も無し。『我〔我所有〕の是が一虗無佛法身で此の心の為に空真際體を観ます。一切無動の境(時空)を得て、是の為に定が成り能く完成して、一切の煩惱を離れて生死より永遠に離れます。是が方便禪で大乘初門入道觀です。』阿難、禅中での禪道とは、菩薩が如來法界身を觀たく、自己の一箇心相を觀て、元來の妙理の圓滿微塵藏海で持って自覺で聖智體を成して、常樂我淨德の此の五菩薩德が當に修行の如來禪道です。五菩薩德は今より過去無數大劫での、阿彌拏之阿彌拏【数での文献は見当たらず。無量大数の上数で、インド太古代文明の数で消失、BaghvajitaのBrahmannの秘書に可能性が在る】劫前の阿僧祇(10の56乗 、他の説も有り)之阿僧祇劫の前に阿彌拏之阿彌拏諸佛が出世した佛と、阿僧祇之阿僧祇諸佛の出世佛が一身毗盧遮那佛である。此の毗盧遮那佛一体に定と慧の二菩薩身から成り、第一は智慧身菩薩の名は應聲菩薩で毗盧遮那佛の右分身です。第二は禪定身菩薩で名は普賢菩薩で毗盧遮那佛の左分身です。應聲菩薩は智慧の本體で理智悲三體と分かれて三菩薩に成り、理法の元身で應聲菩薩です。右手が智慧の空藏菩薩、左手が慈悲の地藏菩薩です。普賢菩薩は禪定の本體で。智行の二體に分かれて二菩薩に成り、行願の元身です。『是の普賢菩薩の別身が知見で文殊菩薩なり』。應聲菩薩は行願に住します。西方主は東方の慈悲の普賢菩薩の慈悲に住み、東方主は西方願の空藏菩薩の智慧行に住み、南方主は北方の儀業の文殊菩薩の儀業に住し、北方主は南方の智慧の地藏菩薩の誠信に住み、中央主の四方德用と成り故に一菩薩の娑婆有緣菩薩となります。此の五菩薩法身自體が法界を同じく周遍で等流して、是によって人と天神の衆生の五理性心となる。五理性心を一釋迦の理性心の菩薩である自己元心を當に觀て、一箇の大慈大悲心が諸佛心であり、諸天心です。世間の善人は是の天地の順生が人の世を、世間を良く益して、人生の慈悲で自然に理性になる心なり。諸心を束ねて愛と和の心を成して、諸業を束ねて育児の様に社会業を成長させ、是の心の業で純善心で純善業が出来ます。世間の惡人は天と地を逆にして生る人で、災厄苦害に会う為に悲しい心の人生です。是が自然理性の心です。諸心を束ねて哀れみの心を成して、諸業を束ねる。救濟業を此の心で業成しするのが純善心の純善業です。父母に孝を成し、子僕に慧を成し、是の心が最上の善心です。此の心の為の天性で、萬物を良く養育して、練熟の此の心で良く常も不變で成位します。是の為に二つの施理性心が定成します。菩薩は然りと自己の心理を觀て、義理堅固一心での菩薩修行で是が天衆生の道です。一切世間は皆な義正に依り、道理の利が出来て、是の心が道心です。是の理の道理で善人に依って利得が出来ます。義理心での利心で有らずば、道理が自分の有利で惡人の為になる非義理心での非情心で道理が自分に惨くなります。心を君主成忠にして、衆生の倫理が宜しく成ります。此の心の為の天體で、此れを確りと保持して能く此の心を練熟し、常恒に変わること無く成して、三つに尸迦(中国発音、Suka:Pali語で快慶:Duka反語で苦毒)の理性心を定成して、菩薩が自己の心理を當觀する。礼儀正しい心に依って、是の上天法と是の衆生の聖法が常に不變体で、適用されるます。大梵王、天が定める法に於いて天の金輪聖王が是の法に於いて地の諸佛を定めます。此の定がの法界の法です。菩薩は定の法に於いて人を常に是の心と是の正心によって、是の法と正法になります。是の心で能く世間方法及び天地之尊卑上下位を成して、能く緣を熟す此の心を、常恒に変わること無く成して是の為に四つに般若理性心が定成し、菩薩が自己の心理を當觀して智慧照明心(Nimmita)と成り、是が諸佛の光です。是で諸天が世間有山原谿谷河海橋船を明します。無光明は何故か(若き日に此の質問を印幻先生に質問しました。)、人間は物事の是非の萬法で迷悟し、無智考です。何にこの事に成るかは、是による、皆な智慧の多大か少小かに依る練熟の心次第で、常恒に変わること無い定で、五つに曇るは末理性心(Akusara:欠けてる心)に成るからです。菩薩は自己の心理を正しく觀て、誠信(Sada・Sachi:34善心点のKusara[欠けてない心]の中の二つの善心点)道(法随観禅)で心の源のを観る。是が薩埵(衆生)の德道で、是によって、人が世間より出世します。此の誠信が無ければ、一切萬法も無得で先に述べた四つの心も同じく、皆此の地を得る為に、能く此の心を練熟して下さい。この定めは常恒に変わること無い定です。阿難よ、釋迦(應聲菩薩)理性心は大慧大宥(真の友人で智慧)です。阿施(普賢菩薩)理性の心の作用は、釋迦理性心の勝手気ままなを容赦なく制御します。又 阿施理性心の勝手気ままを、般若(空藏菩薩)理性心は容赦なく制御し、般若理性心の廣計遠識を尸迦(吉祥菩薩)理性心の作用で容赦なく般若理性心の気ままな計識を制御します。又 尸迦理性心は特別に有るので、曇未(地藏菩薩)理性心の作用で容赦なく気ままな尸迦理性心を制御します。勝手気ままな曇未理性心も同じ様に、又釋迦理性心の作用で容赦なく勝手気ままな曇未理性心を制御します。この様に、お互いの理の作用の姿實姿同(全く同じ)で、完全に一致します。阿難よ、五理性心は其の互の作用でそれぞれに在り、合本理には一毛の亂れなく、例えれば轉輪聖王の城の堀石の石相疊(Cusco,Peruの巨石壁群)の様に髪の毛の隙間も無く、お互いに組合って、不散亂の墜落が無い城の形堅固の德が五理性心です。この様に、お互いに制御し合って過ぎる事も、足りない事もなくこれらが釋迦の善、阿施の宜、般若の理、尸迦の真、曇末の道であります。世間はこの事によって大平安に成ります。阿難よ、【是れ此の五理性心が唯一の心です。】有無ではなく、只この様に有って、成り立っていて、よく聞こえる耳のように円には端が無い様にです。良くこの元體を觀て、確りとして應用を成し、正明をもって物事を無量に使い、皆な善きに成るのが五理性心の成就者です。 下品の人間世間に於いて、修賢聖道で利自利他で世界を安樂にし、衆生を導き菩薩道の中品に入り神仙の修菩薩道、化け物の龍鬼、妖魅を佛道に導いて、世界を保護して、上品の天宮に生れて、修菩薩道に於いて保天鎮地で利益を衆生萬物に奉仕して、最上品に居らずに、地獄餓鬼畜生と交わり、或いは人間、神仙、天宮に住み、或いは他方の諸佛淨土に住んで、分身無量の現形が無數で佛道行するのが、阿難よ!【自利他益が善心】なのだ。心を定めて真善を成しなさい。この状況に於いての惡心者の一切惡心も皆な五理性心が制御不能が生發する為である。阿難よ、惡心の生發に二つの惡事の源が有ります。一つに過たる善の源、二つに虗無の源です。それは、過たる善の源とは五理性心の偏より過ぎに於いて五理性心の不並が在る為です(不調和)。また復一したり、一長過過ぎたりで不五理性心の制御が出来なくなり、佛性の理性が無明妄氣の為に心がうっかりして、惡心が速成し其の慈悲が愛著心に成り、其の義理が憎害心に成り、其の智慧が侫姦心に成り、其の敬儀が謟媚心に成り、其の誠信偏頗心に成って聖道が大損し、病人が用療しなければなりません。服藥での治病は。服み過ぎによって藥毒に成り、病に戻ります。虗無の源とは、五理性心が常に成らず、その奔放より其の間隙に貪悋(惜しむ)、瞋恨、愚惑、妄想、等邪意が即生して此の心に依って、此の心の惡作で身成殺害、盜婬亂、謾儀等の邪業を成就して、惡口、兩舌、妄語、綺語等の口成邪言で人を破壊し、不名誉にし、自己の子孫と家門を破滅させます。死後は、地獄、餓鬼、傍生修羅に落て、終りのない生死の輪迴憂悲苦惱より離れられないのが、汝等の世である。六(天眼,天耳,他心,神足,宿命,漏盡)神通、聲聞、緣覺、また世間の五通(天眼、天耳通、他心通、宿命通、身如意通)天神、仙、鬼等が出世間して、安羅果を得て掌中で見るように、森羅万象の始終を見る故に一般論では説明が出来ないのです。また世間の微塵まで悉く觀ます。一切の無惑と一切の德を成し得て定と成り、是が中得道禪です。又は大乘の中での中常修道觀である。阿難!後真實禪とは、菩薩の觀欲で如來全體の成佛身者であり、應聲菩薩釋迦心です。智禪(法随観)を実践する人々は樂を得て、尽きる事の無い德の心意識の為に、無量壽佛果に至り妙觀察智を證して無緣慈悲に住して、普賢菩薩の阿施心の聖禪を修めて衆生相を離れて常德を得ます。阿羅耶(深八識)の尽きる事がない為に阿閦秘佛果に至り、大圓鏡智を證して無作行願に住し、以って空藏菩薩般若心で自禪を修して我相を離れて、我德を得ての最大の努力の為に華開敷佛果に至り、平等性智で無得福德に住み以って吉祥菩薩・尸迦(Sukaの中国音訳でPali語、意味:快慶)心の覺禪を修して人より離て淨德を得て、尽きる事の無い五根大識の為に、天皷音佛果に至り成所作智を證して、無相知見に住し以って曇未心の如來禪を修。法を離れて非を見ずに波羅德を得て、無明惑が無い為に大牟尼佛果に至り法界體智を證して無漏覺果に住して、三世諸佛皆な此道に依って轉因成果して、正覺名如來應供正遍智妙行足善逝世間解無上士調御丈夫天人師佛世尊を取得します。是が後真實禪で、亦の名が大乘終室得道觀です。阿難よ!是の成佛禪修者は下品行者で、初發心の時に便成正覺して、凡夫地に住して即悟に成佛し、中品行者で三(身口意)を成し得た時に 普賢道に入り上品行者と成り、是の名が一生補所で最上品行者です。是が三世諸佛也。阿難よ、如來禪修し者は前中後位に於いて、漏れなく得實行實證します。世間の者は治人間道で、下品道者は善人位を得て、中品道者と成り、賢人位を得て上品道者の聖人位を得、現在明德、後生天宮、出世者、治沙門道。【下品道者は善人位を得、中品道者は覺悟位得、上品道者は三昧位得、現在妙異の後生淨土】。佛此經に依って一切菩薩聲聞天仙鬼と一切人民大歡喜しました。

大梵天王問佛決疑經 

菩提 般若究仁伽 比丘(Bodhi Panna Gunika Bhikkhu)こと水源 徳性沙門 翻訳二千二十二年十月吉日

何とかして体験による翻訳なので、正式な形式では無いので 、この後は真の体験修行学者にお任せします。また今後の審議を実際の現状社会問題の解決策になる事を楽しみにしております。

水源合掌    二千二十二年十一月一日

Ecuador Andes より。

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