自主瞑想会 「一乗禅の会」

Apr 12, 2024

noname

——————————————–
自主瞑想会 「一乗禅の会」

「一乗禅の会」とは、宗派を問わず、瞑想も座禅も念仏も「一乗禅」として、
「皆さんで一緒に座りましょう」と言う意味で、水源先生が命名されました。
初めて参加希望の方は(東京、大阪各々)下記メール宛てまでお送りください。追ってご連絡いたします。

終了後、お時間のある方はお茶をご一緒にしながらの歓談も予定しております。

スタッフ一同お待ちしております。
費用は無料です。
座布団はありますので、瞑想しやすい服装でお越し下さいませ。

※以下のお経をダウンロードしてご持参ください。
※ お経.PDF

 

—————————–——-

東京自主瞑想会のお知らせ

総合区民センター 

日時:

2024年5月19日(日)13:00~17:00 (6階第1和室)

2024年6月 9日(日)13:00~17:00 (6階第1和室)

2024年7月15日(日)13:00~17:00 (6階第1和室)

       

会場: 総合区民センター

持物: お経(慈経・観音経・般若心経)、お水

住所: 東京都江東区大島4-5-1

TEL: 03-3637-2261
https://www.kcf.or.jp/sogo/

JR総武線「亀戸駅」から徒歩15分
都営地下鉄新宿線「西大島駅」A4出口から徒歩1分

尚、初めて参加希望の方は必ず下記メールにてご連絡ください。

追ってご連絡いたします。

taiguhin#gmail.com (#を@に変えて下さい。)

—————————–——-

大阪自主瞑想会のお知らせ

日時:奇数月(1月、3月、5月、7月、9月、11月)の第3日曜日

午後1時から5時まで(稀に日程変更する場合もあります)

住所:大阪府大阪市中央区本町橋8-22(青いビル3F)

交通:大阪市営地下鉄 中央線 堺筋本町駅 徒歩5分

大阪市営地下鉄 谷町線 谷町4丁目駅 徒歩8分

持ち物:お経【慈経・観音経・般若心経】、お水(ペットボトル)

尚、初めて参加希望の方は必ず下記メールにてご連絡ください。

追ってご連絡いたします。

itizyokai#mail-osaka.com (#を@に変えて下さい。)  

 

————————————

 

水源禅師法話集124 中国エジプト紀行 改

Feb 18, 2024

水源禅師法話集123

Aug 3, 2023

水源禅師法話集121, 122

Jun 16, 2023

水源禅師法話集121

May 20, 2023

水源禅師のご法話

Dec 12, 2022

ECUADOR 2022.12

Image 1 of 10

皆さんお元気でしょうか?

日本依りの旅の方々と、楽しく過ごしている内にあっという間も無く時間だけが過ぎ去ります。山海の珍味も豊かな土地で大いに楽しんでもらい、山の家も海の家も形が整い始めて次回の皆様の訪問を楽しみにしております。瞑想の道場も出来上がり、とても気分の晴れる毎日です。特に、弥勒様やガネーシャ様がお釈迦様と一緒になって納まり、とても気持ちの良い場所に成りました。家の前に之マンゴーの木に当地ではとても珍しい美しいグリーン イグアナが住んでるようでとても嬉しい限りです。所で今年も年末の時期に成り、皆さんはとても忙しいと思います。世界も益々荒れ始めて先が見えないようですが、これからの時代の大変化期に入りこの嵐の中で 静かにお釈迦様のお言葉を思いながら、瞑想にふけるのも良い人生かと思います。ここで大切なのは 本当に私達の人生は通常境の一般論で安楽平安に過ごせるのか、全ては公論で発表されることだけが真実なのか、それぞれの立場で検証してみるのも良い時期と思います。此処近年に於いて 一昔前では陰謀論でかたづけられて検証も無く、頭の狂った人でかたづけられてしまいしますが、今はそれが本当の真実の世界であると認識され始めました。科学の大義を以って世をだまして、本当に世界人類の破滅を認識される事態が発生し始めました。原因はとても巧妙で悪質な心で世界をだまし続けられているのが根本問題で、歴史的にいつも発生しています。  是をお釈迦様が心の仕組みの悪心点(Akusara)によるものと、善心点(Kusara)に転換する法を八万四千の法門で解き明かしています。特に涅槃に入る前に大梵天王問佛決疑經で事細かくこの法門を解き明かして、私達の実態を明解に示して如何にしてこの人生を生きるべきかを教えて下さっています。現代の私達の世界観では到底受け入れられないお言葉で、学校教育での見方ではとてもばかげているとしか見えません。でもこの教育を絶妙に真実より悪質な考え方を教え込んでるので、此のわなから抜け出るのは至難の業です。私が何故にエチオピアに行き西洋社会の根本を検証する為の旅をしたかは、The Book of Enochの実態調査の為です。この経典を垣間見た時に、The Tree Of The Knowledge で不思議なことに法随観 の四界分別の物質の地水火風と同じ事を述べているのにとても驚いて、この経典は二千年から三千年の間で幻の経典として一般社会には知られることもなく、消失した様に思われていましたが1773年にエチオピアで発見されて1827年に発表されて、1883年のロンドン版の序文24Pに Adamより七代目の偉大なる預言者Enochが、この様に、のべています。

xxir INTRODUCTION. Chapters xciii. to civ. contain

『the eloquent ex-hortations of Enoch, addressed to his children, in which he follows Buddha in commending the”Paths of Righteousness,”』 and anticipates Jesus in pronouncing the doom of sinners and the joys of saints, and gives utterance to the most emphatic assurance of immortality which has ever flowed from human lips : 『” Fear not, ye souls of the righteous, but wait with patient hope for the day of your death in righteousness. Grieve not because I your souls descend in trouble and sorrow to the receptacle of the dead ; for great joy shall be yours, like that of the angels in heaven. 

『偉大なる預言者Enochは子孫たちに、私は仏陀の教えの正しく生きる道を歩いて行くので、お前たちも私の様にしなさい。』イエスの示す怖ろしい罪と罰、正しく生きる聖なる喜びが有る事の不滅の霊を人間の言葉より話し:『怖れることなく心を正しく生きなさい、日々を耐えながら送り正しさの中で世を去りなさい。きみ達の霊の死の暗き嘆きを死を悲しむこと無く、大いなる喜び貴方は天使の様に天国に至ります。』

Enoch は Noahの先祖で地球の大洪水の前の人類で、スメリアの伝記に依れば大洪水は四十三万二千まえと言われ、この書には悪行の二百の地に落ちた天使のはなしがあります。話にあるAnuarkiと同じ様な伝説で、時間的にはKashapa Buddha(七佛の中の仏陀)の教えの事の様に思えます。つまり世界の主要宗教はキリスト教、イスラム教、ユダヤ教の大先祖様が佛の教えに帰依することを進めているわけです。孔子さまは‘故きを温ねて新しきを知る‘と言われる教えを大切にして、真実を知ることにより本当に人類の素晴らしい発展が有る事ですが、今の世は如何にして人類を騙して破壊するかを、世界政府が脅しでまっしぐらに戦争に向かっています。でも本当に怖れること無く正しく生きる事が総ての佛の教えです。

Reference from this book.

discovered by Bruce in Abyssinia, who brought home three copies of the Ethiopic version in 1773, respecting which he writes : * Amongst the articles I consigned to the library at Paris was a very beautiful and magnificent copy of the Prophecies of Enoch, in large quarto ; another , is amongst the Books of Scripture which I brought home, standing immediately before the Book of Job, which is its proper place in the Abyseinian ^—Canin ; and a third copy I have presented to the, .Bodleian Library at Oxford, by the hands of Br. Douglas, the Bishop of Carlisle.” This priceless manuscript, destined, some day.

 by the Rev. I. M. Butt, in 1827, to publish, the Ethiopic original, answered,” I cannot, the manuscript not being my own, butbelonging to the University of Oxford.”

P 14, (xiv INTBODUCTION)Mr. Ellis attained the conclusion through internalevidence, that these cups belonged to the descendants of the Jews who were carried captive to Babylon and the surrounding cities.

P 20 (XX INTRODUCTION) The second parable (xlv.-lv.) demands the absorbed attention of modern Jews and Gentilesfor it is either the inspired forecast of a greatHebrew prophet, predicting with miraculous accuracythe future teaching of Jesus of Nazareth, or^theSemitic romance from which the latter borrowedHis conceptions of the triumphant return of the Son of man:重要なポイントは イエスキリスト出生をの予言 と Son of Manの言い回しはアラビア語のコーランに有り、預言者とは言わないことです。

  THE BOOK OF ENOCH THE PROPHET TRANSLATED FKOM AN ETHIOPIC MS. IN THE BODLEIAN LIBRARY BY THE LATE RICHARD LAURENCE, LL.D. ARCHBISHOP OF CASHEL THE TEXT NOW CORRECTED FROM HIS LATEST NOTES WITH AN’ INTRODUCTION BY THE AUTHOR OF ” THE EVOLUTION OF CHRISTIANITY – LONDON KEGAN PAUL, TRENCH & CO., 1, PATERNOSTER SQUARE 1883  

私達はいつの世でもだまし続けられて、此の悪世より涅槃の世界に向かうのは本当に至難のところをお釈迦様は、とても優しく導いてくださってます。Pa Auk 森林僧院で素晴らしい比丘に助けられて、Kashapa Buddhaがその昔に助けてくれたお話しがありました。此のThe Book of Enochは Kashapa Buddhaの教えを言われたのと思います。お釈迦様の教えである大梵天王問佛決疑經と同じことを過去七佛の教えが説かれているので、熟読することを勧めます。

水源合掌 12月11日 二千二十二年、太平洋の岸にて。

水源禅師のご法話

Nov 1, 2022

Ecuador 2022.11

Image 1 of 8

皆さんお元気でしょうか?

早くも二ヶ月を残す、2022年です。とても激しく動く世界の混乱期に入りましたが、まだまだ先が有りそうです。長年にわたりこの事は予測して、発表してますが現実の対象に取り込むのがとっても難しい世界の状況です。私も10年前よりの準備で、やっとEcuadorの受け入れ体制ができて、日本よりの一乗禅の会の方々が無料費の弥勒菩薩迎賓館に瞑想に来られるようで とても楽しみにしています。それと同時に素晴らしい山海の食材で 訪問の方々に、私の手前料理でもてなすのがとても楽しみです。此方の海と山の気候は年中23-5C 涼しく気楽に過ごせます。もう直ぐに此方でまる3年の月日が流れる中で、 時間があっと言う間に消え去るように短く感じます。それでも、カナダの湖の寺小屋も安定して待っているようです。3年座ることにより天界より沢山のご褒美を頂き、是を皆さんと一緒に頂く事に心から誠に嬉しい限りです。お釈迦様が修行がすんだら山野で暮らしなさいとの、慈悲の塊のお言葉で是ほどの愉しく暮らしたのは人生で初めてです。何でも時間と年数を掛けて解る事なのですね。佛大梵天王問佛決疑經はお釈迦様が涅槃に入る前の最後の大説法で、私の生まれ落ちた数年後より、今までの私の人生修行での体験での不思議な事柄の回答がずっしりと詰まっております。文献ではいくら探しても私のとても不思議な体験の回答が無いのですが、奇跡的にこの経典に出会い、私の人生修行での体験の解答の書です。此処にお釈迦様の八万四千の法門の核芯が私の心に響きます。特に過去七佛、毗婆尸佛(: Vipaśyin: Vipassī)、尸弃佛(: Śikhin: Sikhī)、毗舍浮佛(: Viśvabhū: Vessabhū )、拘留佛(: Krakucchanda: Kakusandha)拘那含牟尼佛(: Kanakamuni: Koṇāgamana)、迦叶佛(: Kāśyapa: Kassapa迦牟尼佛(Śākyamuni : Gautama)へ心より敬意を評して、無量遠劫大宇宙の源の毘盧遮那(大日如来)仏の教え【知見での一心を観る】をお伝えくださった事に無量の感謝を申し上げます。それと同時に総ての衆生と世界の大平安への願いを込めて、家内と私の一切のご先祖様と亡き父母に、この度のお経の翻訳で報恩して、家族の支えと一乗禅の会の皆様の支えにより、私なりの文章で日本に住む皆様又世界の方々へ報告出来ますことを感謝申し上げます。

最後の章6,7へ続きます。

降魔品第六

佛告阿難。阿難當知此經誠實。難信難行。非謂此經不相應人無信無行。此經最上成佛直路。為最上者。必有魔障。以是理故。難信難行。何為魔事。有四種魔大障弘通。一者天魔作障魔。二者外魔。三者他魔外道邪見魔。四者自魔。有如是障。誠是難行。真是難治。何為天魔依是經者。無不成佛。是故天魔常作障難。雖至世間弘通之時。橫遮不至其弘通時。或雖世間有弘通人。又令無伴侶者。或令傍人為誹謗難。或招災難。令中生苦。或託於人。告此經非七佛。或以弘於世間。令謂此弘人行邪道人。或付天子國王三公。令欲不弘此經於國。悲哉此經為魔被遮。不廣於弘通流布。我以佛眼。見此難治。唯不依經文字章句。以此經理。傳於心心。廣令世間弘通流布。又以方便。令觀音等諸大菩薩能藏持之。留此經卷。同我護念。不永斷。阿難當知。持傳此經。是人即是大力菩薩。真實行人。何為外魔。當有二種。一者歸氣斷滅魔見。二者成神鬼界魔見。何為世學歸氣道人。學世間教。不知心造天地萬物善果惡果乃至十界解知天地五行萬物人間五虫皆是氣造。元氣分散。心亦分散。成虗無心。無後果報。因果撥無。當墮惡趣。悲哉此人不知教。起此教法者。高地菩薩。作轉輪王。出於世間先見時節。為人間治。設氣造教。心造教者。待起佛。雖此教宗。不無心無神無報後出外道。以自凡心。妄計妄解。轉輪聖者。所設聖教。或失其傳。私設無見斷見等旨。妄立此宗。此國他國。乃至三千大千世界。劫初所出諸聖王者。皆是高地大菩薩也。是故所。一切教示。無有邪妄。皆是正教。以正以善。能治國土。依人民心。此國他國。今時後時。諸外道者。皆立私旨。破我聖教。豈唯破我所說說教。還破上世聖王所設示教宗。如是長邪作妄解。故此人時見我知見徒還作誹言。不知真理。妄迷顛倒。作無益行。大遮歸向。我知見門一切人民。無此經道。何為世學成神道人。但守一世。不慮後世。唯知人死成鬼成神。不知出離生死成佛。此教亦復聖王所設。聖教旨也。世下時。遍。遠聖者故。妄作此解。長記長才。妄學旨者。為修心身。非為才記。妄己不治。唯破他教。悲哉此人亦復不知此教本是聖王所設。而不差於如來所。還見知見成佛道人。誹謂不解天真本性道。無成佛在法界宮。亦無佛居十方淨土。亦無作惡人居地獄。皆是佛者以妄語。成此知見。人不知是理。是甚愚人。遮歸向人。何為釋中典會魔。當有四種。一者文字博學見魔。二等愚痴要約見魔。三者易行著相見魔。四者難行著相見魔。何為文字博學見魔。著文沙門。於我所諸大乘經。盡藏盡部。分別文句。作解作傳。講之釋之。唯明文字章句義理。稱我大智多聞強記一切經義通達無暗。不知其經真實道理。皆在己心。諸經言者。諸言者。己心理。非文字義。侈學。侈才。立我立慢。還滅我教。深入邪道。成魔伴侶。聞口言。即是佛語。察意解理。即是外魔。悲哉此人不知諸佛出世法教化本意。若不開悟佛知見道。不修行成修滅凡業。修成聖業。修滅凡氣。修成聖氣。而但應長多聞多才口給辨。如來出世法何益。如是愚人。『還見真實。不立文字。知見心性。作佛道人』。太作誹謗。謂是魔徒。大遮歸向於此經道。一切行。如是邪人識難治之。三世諸佛。一切人。菩薩。無有一佛。亦一菩薩。唯解文字。唯持多聞。不覺心性。不修覺道。已成佛道。當成佛道。如是愚人。非我弟子。是為魔徒。何為要約。愚痴見魔。無智沙門。於我所。諸教經中取一要文。深著其理。悉捨他教。甚深法門。非是真實。非是要道。擇是擇彼。一切廢捨。日日增信。自執妄見。時時增厭。諸佛廣道。強著強執。次第入暗。捨智捨覺。終成極愚。設諸佛現雖破此邪。諸大菩薩雖破此愚。不聞不入還作瞋邪。亦作大謗。道汝不知。妄破我法時見此經。知見道人。謂是迷人不解要法。妄作覺解。諸佛如見。是知見道。廣博無益。云何愚人應能解之。設有能解示天何益。『但捨知見。入惡道』。如是教化。遮我大道。悲哉此人不知諸佛修行成事。一切諸菩薩者。生生增智。世世致理。劫初益見。代代格覺。如是愚人諸佛誠度悲之。阿難當知。如是愚人設得六通。現三昧相。如是天魔化來所作。勿生一念歸信之心。如是愚人誠難治之。三世諸佛一切菩薩。無有一切。亦一菩薩以一句義。不通眾理。持一要文。不明性道。捨智成愚。一向無機。已成佛道。當成佛道。如是愚人非我弟子。即是魔徒。何為易行著相見魔。無力沙門。於我所諸教經中。為化愚痴無根之人。任於過去諸佛方便。亦不得止。設方便教。或歸一佛。的一菩薩。或持一呪。持一經句。歸之信之。不依難行。滅罪解毒。方便成路或有破戒劣根沙門。倦修眾聖真人正道。如渡得船。見之歡喜。悉捨諸佛戒慧道。一向著住此方便道。不知諸佛不得止。設纔時方便。權假之道還以此權假方便。為最上法。謂無上路。或作邪思。為我能得一切道人。未見未得最上妙法殊勝妙路。招諸愚人。為彼愚人。設講設會。廣敷演。而謂此道最勝極妙。唯限此路。眾生成佛。諸餘經道皆是難行。一切凡夫皆是下根。若下根人依難行道。百千萬人中。雖一人。實不可有得成佛道。於茲一切魔魅。得便加勢加利。冥成助故。日日長其信心氣。亦日日弘長其邪法流。亦復一切愚人迷俗於。功。茲得幸大作歸伏。所以者何。一切愚人好惡。惡事。懶於善行。雖然如是。一切賢聖一切諸佛。已。作惡人者。非是人間。非是佛徒。今過罪害。後生惡趣。生生世世得惡果報。永成佛得大路。是故捨好忍懶。勤修。依戒。依定。依慧。修度。忍難。忍苦。依聖學教。恐罪捨惡。趣向聖道。然今逢此大易行。不依賢跡。不依聖道。永離惡趣。直得成佛。大慶大喜。皆人此教。於茲即廢諸佛正法。豈唯廢我成佛法。也即廢王法仁義聖道。所以者何。令諸人心深著易行。不知道理。以是理故。親罪親過。親迷親妄。親惡親邪疎父疎母。疎君疎臣。疎聖疎賢。疎天疎命。豈唯是自然廢聖道也。彼邪沙門。見此經知見道人。甚大惡之誹謗而謂此修行人。不知直路。遠迷久惑。留難行道。知見道者難解難入。濁惡世中不相應下愚人民。千萬億人於中無迷□一。成就此道。誠可咍之。此邪言流布於世。大遮入。於知見道人。悲哉此人不知諸佛設方便旨。諸佛設此方便路意。欲先教之。因是為緣。起信近佛。漸漸增益一切佛種。引入佛道。開示悟入佛知見道。令得成佛。阿難當知。念三寶者。是為至於知見寶處中路舟筏。爾此愚人不知舟筏。執此舟筏。還遮寶處。誠可悲之。名非遮此佛知見道。還遮自己念三寶道。所以者何。或是念佛。或是念法。或是念僧。雖是皆實諸佛法。是愚沙門所念之心。即邪念故。念三寶法即成邪法。修邪法故即墮魔道。自墮魔道故令他墮魔。自墮他墮皆破佛法。破佛法故破念三寶。豈唯墮魔邪類中也。終墮無間大火坑中。無量無邊大劫數間。受無量苦。永佛種。如是愚人誠難治之。三世諸佛。一切菩薩。無有一佛亦一菩薩。不依此經。佛知見道。念一如來。念一經句。念一菩薩。唯是一行。已成佛道。當成佛道。如是愚人非我弟子。即是魔徒。白佛言。世尊如是愚人云何得魔法魔徒。應還信佛。佛言阿難。如是愚人即止慢心。迴心還思。應當思念。我是愚人。我是惡人。當墮三塗火坑之中。但有諸佛。以大慈悲。能設方便。為我等故此易行念三寶道。令我愚人永離三塗。是尚慶餘應如是我往淨土者。誠不思議我法方便。更不應對他人勝道。如是思念。或念佛寶。或法佛寶。或念僧寶。向其念寶。一向專念。無他思求。依我劣根。無由勝道。唯歸如來方便之道。於自他相。無是無非。不遮他道。唯向自身。拂心垢。欲專念誦。則眾魔退去。其三寶現。自無罪亦他無罪。故即成我教。念三寶法若一念。生自勝他劣增上慢心。還作魔行。亦離佛行。諸佛真實知見道。尚謂自勝他劣等者。即為魔道。何以故。此佛知見者。為得作佛耳。非為見自勝他劣生慢心故。何況於為修佛方便劣行尚爾。以自劣為勝於他勝道也。何為難行著相見魔。有沙門我法中。為極惡人。及極愚人。亦極邪人。亦諸闡提。生盲生聾。諸佛神力。諸菩薩力。一切不及。以佛方便。設一妙不思議術。以神呪。呪一切罪人。令得解。於此呪術法爾。自然有十種功。何為其十。一者凡夫轉成聖仙。二者罪惡轉成善德。三者闡授轉成解。四者流轉轉成往生。五者魔障轉成賢業。六者病惱轉成治安。七者中夭轉成長壽。八者天災轉成神福。九者怨敵轉成恩伴。十者兵亂轉成靜平其餘尚有無量神驗。此呪術者。難行苦行。而面前現種種神驗。或有邪念上根愚人。或利欲者。為世歸依。或樂驗者。為驗術故。入於山林識濯木食種種難行。得大神驗。出於世間。驚一切人。即謂是法諸佛法中最上最勝化諸人民。引入邪道。不知如來方便所設。唯樂一切奇怪妄事。永沈邪見。悉墮魔道。終必當墮三塗火坑。豈唯自成奇怪。邪徒自失正道。還令諸佛大聖道。共成奇怪。法無其正道。誠可悲之。阿難當知。諸佛如來。設此方便神驗法者。第一為欲難救罪人。能救令入解門也。是故諸佛以初五功為真實設。第二亦以慈悲心故。於現世生。欲天下平萬姓安故。以後五功為次。實設其餘有驗。皆是呪力自然功驗。自然此愚人。著其神驗種種奇怪無益名譽。忘失本意成佛實驗。瀧水逆流山嶽移他。呪縛鬼神。呪水為湯。是事何益。但實得。有道沙門。令損國水之逆流。令害人鬼呪。之縛者。是有益故。即是佛事。除如是術。彼邪驗人。時見此經。知見道人。還作誹為無功無德。謂道人愚痴。不知我有功德。修無功能。下劣淺道。大遮諸佛真實正法。如是愚人誠難治之。三世諸佛。一切菩薩。無有一佛亦一菩薩。不依知見成佛正道。修無益驗。已成佛道。當成佛道。如是愚人非我弟子。即是魔徒。何為知見差路障魔。當有十類。一者禪坐不得迷魔。二者辨達不悟迷魔。三者凡聖不別見魔。四者慮難不發見魔。五者慮易差路迷魔。六者知見不修見魔。七者能修不見迷魔。八者見空不中迷魔。九者見滅不實迷魔。十者心教不同見魔。如是等有無量魔見。但以略示此十類魔。學士觀察。勿墮此中。何為禪坐不得迷魔。趣向知見。一乘道人。為工夫故。修行禪定。從朝至晚。從夕至曉。但空靜慮。日久年久。如是漸了見無。物心寂然空。無想無念。見此空。入為是佛性道。我禪中。得佛知見。更無顧故。不知諸佛知見道者。心是聖是智。是覺是理。但空寂體。是知一端。又未真實。如是久修。習練定心。得定中靜。又以非真佛性故。無起時靜。故於定中。心靜空淨起故。定時心散。生平有人道之定時起時。心差別非於此。又迷不知心散。是依不得實知見故。還唯心散。是依修禪尚未練。故益修空定。隨修入空。唯見空了。不得實佛知見道。學者須知。勿入此魔。若誤入者。設經劫數。不得知見。魔恐此魔。何為辨達不悟迷魔。趣向見知。一乘道人。見維摩等住不思議解大士。機辨活發。無礙自在。思知見性機辨妙。而專代辨達。行住座臥。唯行機活。久修之故。終得習練。而至得自在。而惟我已得諸佛知見辨自在。心不顧理。理不知諸佛知見道者。是誠是雅。是靜是德。但辨達機德。『是知見一端。而未真實』。

阿難よ、難信難行ですが、このお経を誠実に確りと知りなさい。不信不行の人には非常識的、非理論的な説明である經と見るからです。此の經は最上成佛の直路で有る為に最上者には、必ずや此の理の為に、魔障が発生する事に成るから難信難行です。魔の事とは、四種の魔の大障害が起こります。一に、天魔が作る障魔、二に、外よりの魔、三に、他の魔の外道依り邪見させる魔、四に、自己の中に居る魔の四障害が天魔に依って此の經者の災難と成り、誠に難行で真の難治で不作成佛させる為です。この様に、天魔は常に障難を作り、世間に弘める事を難しく、また幕張したり、世間の人々にとって難しく、又は無縁の人に成り、或いは傍人依り誹謗難を受け、或いは災難に会い苦しい中で生き、 或いは世間の信用ある人に、此經の七佛を間違いですと言われます。或いは世間に弘くく事に依り、此の弘人は邪道行人と烙印を押されます。或いは天子、國王、三公(大臣達)より、此の經のを國に於いて広めることを禁じられます。悲哉かな此の經は魔に依って遮られ、依って弘く通流廣布が出来ない事に成ります。私の佛眼より見て途ても難しい事なので經文字章句を使わずに、此の經理を心心伝印に依り廣く世間の人々に流布し、又方便をもって 觀音等諸大菩薩の能く藏持して此の經卷を留め、私の護念に依り永く不斷にします。阿難よ、此のお経を用いて伝える人は、大力菩薩で真實の行者です。外寄りの魔は二種類在り、一は歸氣斷滅魔見、二は成神鬼界魔見です。之により世の學門は氣の道教を學び、心に依って、天地萬物善果惡果(因果)と十界解知天地五行(創造原理)の萬物・人間・五虫(甲、鱗、毛、羽、裸)皆な氣で造られる事を知らないので、元氣が分散し、心もまた分散し、無心も虚ろに、果報も結果なく惡趣に墮ます。悲しや、此人達は此の聖教を知らず。此の聖教法者は高い地の菩薩で轉輪王と成り、世間の時節の先見して人間を治めます。そして氣造の教えと心造の教えが、佛のく所であり、世尊の教宗であると教えます。無心・無神・無報と後世に出る教えは、外道の自尊心と妄想で作られた教えで、個人的に此れを偽経と発表して無見斷見経にします。『初代駒沢大学学長、忽滑谷天快氏の偽経典論文の発表で、日本での偽作を説く。』轉輪聖者は此の聖教の教えを保護、或いは取り戻して、この國や他の國そして三千大千世界に伝えます。劫の初より諸聖王者達は、皆な高地(十地菩薩行の高い地位)大菩薩で是のお経のが一切の教えを示し、邪妄では無く正しい教として、正善で能く國土を治めて人民の心、此國、他國に慕われます。今後の諸外道者は、皆な個人的な意見で、我の聖教を破壊し。あなた達は私の言うことや、教えることを破るだけの教えですか?前世の聖王が教皇に示すために定めた教えも破った。 それが長期的な悪であれば、それは妄想社会になります。 だから、この人達は私を見ると誹謗中傷する、真理を知らない妄想に迷って逆行して無益で大きな幕でこの教えを覆います。私の教えは全ての民の經道門で、他では無い教えです。世の神道人は一人生の學を成すだけで、来世の死後の事を考えなく、只霊か神に成る事のみ知る。(釈尊より救世の教えが始まる。)生死を離れ出て成佛するを知らず。この教えは、聖王がこの聖教を設定されて世に遍く公布し、遠方の聖者達も同じくしました。だが学問に長けた妄想学者達は、妄想で此れを心と体の修行と解釈して、人々の才能にも妄想を治める事にも役立たず、ただ他教を破壊するのみ。悲しい事に此の人達は此の教えの根本も、聖王がこの聖教を設定した趣旨も知らず、我の解釈は如來の所と違いが無いと、知見するのが成佛道人と論ずる天真本性道を解釈出来ずに中傷します。成佛在法界宮は無く、又佛居十方淨土も無く、惡業の人が居る地獄も無く、皆な是は佛教者の妄語と知見したと論ずる人は、是の理を知らず、甚はだしい愚人で、人々にこのお経を隠蔽します。釋中経典悪魔は四種あり、一に文字博學の悪魔、二に馬鹿な要約文章の悪魔、三に占い師の悪魔、四に難行苦行の悪魔等です。文字博學見魔とは、著文な沙門(僧)が我の諸大乘經の隅々まで文句を分別し、作り解えて、作り傳える講釋での文字、章句、義理などを昭にするだけで、自稱に依る大智多聞強記一切經義通達無暗(総ての佛の説が判る)と論ずるは、其の經の真實道理を知らず、自己心に依る諸經言者、諸言者、自己の心理、非文字義(無意味文章)の侈學で侈才で自画自賛で我の教えを滅して深く邪道に進み入り、悪魔の伴侶に成り、この言が佛語であると察意解理するのは外悪魔です。悲しや此の人は諸佛出世法教化本意を知らず。開悟佛道の知見も知らずに、滅凡業修行もせずに修行を成して、神聖の業と不死行も成して精霊を育ててと、大変な多聞多才で口長けて如來出世の法をしても何の益も無し、是が愚人です。【真實を追及して、文面に依らずに心性を観禅修行が佛道者です。】『還見真實。不立文字。知見心性。作佛道人。』 誹謗中傷を大いにするのが悪魔の徒で、此の經道を何をおいても大遮断するのが邪人識で三世の諸佛でも難治です。人々は菩薩も一佛も無く、亦た一菩薩が只の文字で解釈と多聞で、覺心性と修覺道の悟り無くして、佛道を成して成佛するは、是が愚人で我弟子でも無く悪魔徒である。何の為に経を要約して馬鹿な悪魔で無智な沙門が、我が諸教經中の一要文を示して、深く其の理を表して、多くの私の教えを捨て、是が甚深の法門であるとは、真實でも重要な道でも無い、この様にあれこれ解釈して一切の経を廃捨して、自己が日ましに增信し、自妄して時が立つに連れて、諸佛の廣道を增厭し強烈な個性の執著で次第に入暗に成り、智と覺を捨てる極愚に成り終る人です。諸佛の教えを破壊する邪悪また、諸大菩薩を破壊する此の愚さは此の経を不聞不入で瞋邪を作り、中傷する人で道を知らずに、私の法經を見てわざと壊す。知見道人は是の迷人の解説と要法を妄想であると覺解します。諸佛は是を知見道と見なす。大博学でも如何に愚人の様な解釈では無益、天体天文学者が素晴らしく宇宙を解示しても、何の益が人の生活に有るのでしょう。知見を捨てて悪道に入る。『但捨知見。入惡道。』是の啓発学問が、私の大道を覆い、悲し事に此の人は諸佛修行成事を知りません。一切諸菩薩者は生まれる毎に叡智を増して、世毎に理解を増し、久遠の時より知見の恩恵を受けて、何時も覚醒しています。阿難よ、諸佛は誠に是の愚人を悲しむ事を知りなさい。是の愚人は六通(神足通、天眼通、天耳通、他心通、宿命通、漏盡通)を得る事で、禅定の事で、天魔に化かされて來てるので魔の一念歸信の信仰心の愚人を治すのは誠に難かしいことです。三界の諸仏菩薩も、 何も無い、また、一文だけの意味を持つ菩薩も 理不尽で 重要な句文を保持してるとの修行も方法不明で 、 知恵を愚かにし て無機質で 仏になれるは、そんな馬鹿は我の弟子じゃない。 これが悪魔です。 悪魔に出会い易いのは何故か、それは力の無い禅定で 私の教えでは無いからです。 無知で根性がない人々を変えることに、 過去の仏に助けを求めて 止める事も出来ません。 或いは一仏に帰れと 一仏の詩を保持して、難行に依らず滅罪解毒それを信じさせ教えるのは便利で楽です。破戒や下根の悪い僧には都合がいい道で、聖人の正しい道を開拓するのにうんざりで、船での彼岸を渡るを見て歓喜して、 諸仏の戒律と智慧を捨て 住む事は常に便利な法門です。 諸仏はこの様な法門を止める事も知らず。この様な手法で 善悪の道も都合がいい様に善悪を決めて、最高法規とし、また無軌道で悪い考えをする。 すべての道士を獲得するために、最も素晴らしい方法だと、 馬鹿を雇って 彼の馬鹿の為に講義や会議を設定し、これが最善の方法で 他の法門はすべてが難しく、 この方法だけで 皆な仏になると大いに宣伝します。 普通の人々は下根に依り難行道で 何百万人もの人々の中で 一人でも 成仏する事が無い教えで、一切の悪魔に依って魅惑的な加勢と便利を得て黄泉(霊界)の助けで慢心は日に日に大きく成り、毎日その邪悪な法を広め、成長させます。 すべての愚か者は騙され悪事をして善行を怠り、帰依してとても幸運と思います。 一切のの愚か者は好き嫌いがあり 悪行を好み、 善行を怠る。 一切のの賢者、仏は、此の悪人は 人間でも 仏教徒でも無く、 今の罪悪事を続けて悪趣に浸り生きて、輪廻転生で終わりなく惡果報受け続けて成仏道の大道より断たれます。此の為に耐え忍ぶを怠ります。真面目に戒、定、慧、修、波羅蜜、忍難、忍苦の聖學の教で罪を恐れて悪行を捨て聖道を歩み、然るにこの道が大平安で在り、賢者聖者に頼らずに末永く悪行より離れて直に成仏を得ます。大なる喜びを使い 誰にも安易な教えで、諸佛正法を滅ぼして私の法を廃止して王、法、慈悲、正義等が滅びます。諸仏の法も廃止し仏法が消えます。 だから悪魔が 人々に簡単に魔行を行える様に成ります。道理を知らない故に罪と過ちに親しみ、迷いと妄想に酔って悪魔と欺きを楽しみ父母を遠ざけて、王と大臣も聖者も賢者らを遠ざけ、天の定め避けて運命を観ず。これは将に自己の聖道を然りと壊滅させる邪悪な僧は、このお経を知る知見道人を、甚だ大悪で修行人を誹謗中傷して成仏の直路を知らずと、また大いに迷い惑わされて修行道に留まるのは甚だ難しく、知見道は難解難入で濁惡世の中で是ほどの愚か者は居ない、千萬億人の中でもこれはどに迷いをするものは居ないと邪悪な言葉で誹謗を世間に宣伝して、大いに知見道人を遮断します。悲しいかな此の人は諸仏の超越なる智慧での衆生済度の方便が有るのを知らない。諸仏の方便で先の教えに導き、この因縁で信心を起して佛え近付く事が出来て、徐々にこの恵みで一切のを心に植え付けて行き、仏道に入らせ悟りを開かせて佛知見道で成仏を得ます。阿難よ、よく知りなさい。三宝の帰依者は此の為に旅の中で知見の宝の筏船得ます。(私は真理三年の旅の中でカンボジアで知見の宝の筏船を知りPhra-Auk Taw Ya Monastery Mawlamyine ミヤンマーの僧院でこの宝筏船を得ました。)此の愚かな人は宝の筏船を捕まえる事を知らない。誠に悲しいことには佛知見道の名を隠し三宝道の帰依をせずに、念仏、念法、念僧が真の諸仏の説法と愚かな僧の心の念は、邪念んの為に三宝法の念も邪法になります。 此の邪法での修行のために悪魔道に落ち込み,自己の悪魔道に依り墮魔に成り自他共に仏法を破壊する為に三宝えの帰依を破壊して、地獄に落ちた悪魔悪邪類の中で最悪の無間地獄の大火坑に落込み無量無邊数の大劫(大劫〔mahākalpa〕の算法は「劫」80中劫(antarakalpa)が1大劫なので、為に268億7680萬年。瑜伽二卷六頁)の間無量の苦を受けて、佛種が永します。此の愚人を治すのは三世諸佛・一切菩薩でも誠に難しい事です。(私の友人で悟りを得て、兜率天に転生する僧が、大火坑に落込んで、出られたのはKashapa Buddha【Gautama Buddha(釈尊)の前の佛】にダーナ(布施)をしたからと言ってました。是はお地蔵様のお力と思います。)一佛また一菩薩で、此のお経の知見道に依らずに仏に成る道は無いのです。念一如來、念一經句、念一菩薩、の一修行の行での成佛道とは愚で、我の弟子で無く悪魔です。阿難(Ananda:Pali語)が、世尊如何にして此の愚人が悪魔法の悪魔より離れて、佛えの信心帰依に戻れるのですか。阿難よ、此の愚人の慢心を止めるには、佛えの廻向心と自己の愚行と悪行を地獄に落ちて三塗火坑の中で、諸仏有っての大慈悲と思う事の方便によって、我の説く念三宝道の修行が易くして、愚人が三塗から永離出来ます。是の尚慶に依って、我の往淨土者に成ります。誠に不思議な我の法方便で、これに勝る他の道行はない、是の思念、或いは念佛寶、或いは法佛寶、或いは念僧寶と其の念寶に一心に專念して、他の事を思い求めず。阿難よ、この様にして愚人の慢心を止めて、自己の愚人で悪人である事を思いつ只諸仏の大慈悲に回向する方便をもって、我の説く行念三寶道が容易になります。私は愚人!是が更に宜しい、誠に不思議で他人と関わらない勝道で、自己の劣根の理由無しでの勝道です。帰依如來方便の道において、自他共に無是無非で他の道を塞がずに、ただ自身の心の垢を払って念誦に励めば、悪魔衆を退散させます。この三宝での自他共に無罪故に、我の教えが入るので三法を良く念ずる事です。自分が他人より勝は慢心を增上させて、魔行を作り佛行より離れ、諸仏が真実の知見道で自己が他人より勝は魔道です。何故に此の佛の知見者が佛耳を得るかは、自勝他劣生慢心を作らないからです。どんな状況でも佛の方便劣行修は、自分が劣る為に他勝道の悪魔の難行苦行より勝ります。在る沙門が我法で極惡人、及極愚人、亦極邪人、亦諸闡提(仏法を誹謗中傷)、生盲生聾に諸佛神力と諸菩薩力が及ぶこの佛方便での一妙不思議術です。神呪をもって一切の罪人が解得る呪術法が是で、自然に十種の功徳が出来ます。その十徳とは、一に凡夫轉成聖仙、二に罪惡轉成善德、三に闡授轉成解、四に流轉轉成往生、五に魔障轉成賢業。六に病惱轉成治安。七に中夭轉成長壽。八に天災轉成神福。九に怨敵轉成恩伴。十に兵亂轉成靜平其餘尚有無量神驗と宣伝する呪術者が難行苦行をもって、神々しい現象を見せて、邪念上根愚の人や利欲者の世間を歸依さし、あるいは樂驗者が驗術の故に入山林で木を食して種種の難行で心を清めて大神驗を得て世間を驚かせる事で、是の法が諸佛法の中で最上最勝と諸人民を化して 邪道に引き入れます。如來の方便ではなく、是は樂一切の奇怪妄想で邪見に深く沈み、悪魔道に落ちての先は三塗火坑です。自分が奇怪を成して邪悪徒が正道を失い、諸佛大聖道ですと共に奇怪を成し、無法を正道とする誠に悲しい事である。阿難よ、是は諸佛如來の方便で神驗法者の為の物である。第一に欲望の罪人を救う為に、解門に入れて能く救います。是は諸佛が初に五功(智藝性功、智性功、仁勇性功、智勇性功、大覺性功)の真実の設けて、第二に慈悲心の故に現世が天下平安で萬民が安に生きるを欲する故。その後に五功に依り実際の体験で、是は呪の力での自分の功と愚人との比較で、神驗種種奇怪は無益な名譽で、本意の成佛を忘失する体験の瀧水が逆流して山嶽が動き、呪縛鬼神、呪水為湯、これ等は益で、實の無い得です。この様な修行僧は國水を逆流して損害を人々に与える鬼呪の術者は、是を益で佛事の術とする。是の僧は邪驗の悪人である。このお経を読むことが知見道人で無功無德な事をしません。しかしながら馬鹿な道人は、我の功德を知らずに無駄な修行の下劣な淺はかな道で、諸佛の真實正法を遮断します。是が愚人の功徳です。誠に三世諸佛、一切菩薩にとって誠に難治ことで、佛、菩薩、無くしての知見成佛正道の己の修行は、無益で已の成佛道で佛道成るは、愚人で我の弟子では無く悪魔の仲間である。如何にして、悪魔が知見道に障害を造り道人を逸らすかは、十種類在り、一に禪坐不得迷悪魔。二に辨達不悟迷悪魔、三に凡聖不別見悪魔、四に慮難不發見悪魔、五に慮易差路迷悪魔、六に知見不修見悪魔。七に能修不見迷悪魔、八に見空不中迷悪魔、九に見滅不實迷悪魔、十に心教不同見悪魔などの無量の悪魔が見ています。學士の觀察中に禪坐不得迷悪魔に依って落とされない為には、知見に心を向けて一乘道人に成る工夫を凝らして修行禪定を、朝から晚に至るか、夕より曉に至る時間で靜に心を用いる事を、日久年久続けると段々と了見無の物心寂然空の無想無念の此の空を見ます。是の為に佛性道に入り、我禪中に佛知見を得る。更に顧みなければ、諸佛の知見道者に成らず。是の心が聖で智であり、是が覺で理です。ただ空寂體(毘盧遮那身)のみ。是だけでは真実で無いので、そのままにして久しく修行を続けて心が定まる習練で定中靜を得る。未だ真佛性で無いので、時靜が起らず。此の為に定の中で心靜空淨が起る為に定の時に心が散します。生活の中での定時、起時に心の差が有り、又迷いで心の散らんを知ら無いので、真の知見を得ずにただ心の散乱に依り、禪なお修未練の為に空定の修行は入空に益して【空了見】。本当の佛知見道の不得の學者は是を知りなさい。此の悪魔に近付く事なかれ。魔入者は誤りで經典を數劫の学習でも知見を得ず。此の悪魔を恐れて如何に博学でも悪魔に迷どわされてを悟を得ずに、趣味の知識を求める。一乘道人の維摩大士は、等住【謂即最初所繫縛心,其性麤動,未能令其等住遍住故。次即於此所緣境界,以相續方便,澄淨方便,挫令微細,遍攝令住;是が[等住]、瑜伽三十卷九頁より】の不思議解【五次元の不可思議な空間宇宙世界】を見て、機辨(学問的応用)が活發で、無礙自在、思知見性機辨妙、をもって專代辨達(専門的な博学)であります。行住座臥で唯に機活を行い、久しく修行をして習練を終得し、自在を得る。我が得た諸佛知見辨自在と同じく、心での理屈では無い。理で諸佛知見道者を知る事は出来ません。是誠是雅、是靜是德、で有り辨達機德です。これは知見の一部で真実に至らない『是知見一端。而未真實』。

【天鬼領氣障魔十。一高智破戒報魔。二持戒輕智報魔。三修定著怪報魔。四智戒四見報魔。五依寶不法報魔。六妙解無報報魔。七智行慢心報魔。八有智無質報魔。九表學誑人報魔。十長辨樂輪報魔】。外道邪見障魔二。一歸氣斷滅見魔。二成神無果見魔。釋中邪解障魔四。一文字博學見魔。二肝文要約見魔。三易行倦厭見魔。四難行奇怪見魔。知見差路障魔十。一禪座不得迷魔。二辨達不悟迷魔。三凡聖不別見魔。四慮難不發迷魔。五慮易差別路魔。六知見不修迷魔。七能修不見迷魔。八見空不中迷魔。九見滅不實迷魔。十心教不同迷魔。

天の鬼領の氣障(障氣で多喑,風氣で多聾)悪魔十とは。一高智破戒報悪魔、二持戒輕智報悪魔、三修定著怪報悪魔、四智戒四見(四見: 一、執有二、執無三、亦有亦無 四、非有非無〔佛學次第統編〕より。)報悪魔、五依寶不法報悪魔、六妙解無報報悪魔、七智行慢心報悪魔、八有智無質報悪魔、九表學誑人報悪魔、十長辨樂輪報悪魔です。『天鬼領氣障魔十。一高智破戒報魔。二持戒輕智報魔。三修定著怪報魔。四智戒四見報魔。五依寶不法報魔。六妙解無報報魔。七智行慢心報魔。八有智無質報魔。九表學誑人報魔。十長辨樂輪報魔』外道邪見障悪魔は二つ有り、一に歸氣斷滅見悪魔と二に成神無果見悪魔です。釋中邪解障悪魔は四つ有り、一に文字博學見悪魔、二に肝文要約見悪魔、三に易行倦厭見悪魔、四に難行奇怪見魔です。知見差路障悪魔に十有り、一に禪座不得迷悪魔、二に辨達不悟迷悪魔、三に凡聖不別見悪魔、四に慮難不發迷悪魔、五に慮易差別路悪魔、六に知見不修迷悪魔、七に能修不見迷悪魔、八に見空不中迷悪魔、九に見滅不實迷悪魔、十に心教不同迷悪魔です。

往生品第七

白佛言。世尊四十餘年所經中。『常應念應稱佛名。如藥師佛阿彌陀佛。以心相念。以相舌稱。得何功德』。佛言天王有四種義。一者親近大聖。二者願樂聖□道。三者加受聖助。四者因緣聖入。以如是義。功德大。白佛言。『世尊復常念觀世音菩薩。文殊師利菩薩。普賢。彌勒』。是亦云何。佛言天王。念觀音此菩薩從耳根圓通。起大智慧。其智慧體。即大慈悲。其慈悲心。即大行願。是即一切諸佛道體。一切眾生如是行道。念文殊者得大智慧。念普賢者入大行願。念彌勒得者得大慈悲智。悲行者。佛道大綱。過去諸佛。現在諸佛。未來諸佛。東西南北上下諸佛。及其大法。『無一入悲智行。佛法無一如來非智行得成佛者。無一眾生非非悲智行當成佛者』。若智悲行外有一成佛之法。是外道。非七佛。十方三世一切諸佛。一切菩薩。為智悲行。難行苦行。度自化他。已成佛道。當成佛道。無有一佛及一菩薩不自修行智悲行道。而依他佛他菩薩力得成佛道。若有不自修行功。依他力。得成佛道者。是波旬。非。佛。白佛言。世尊何故。修諸善功德及觀佛稱名。往生淨土。其故云何。佛言天王。初心菩薩。及下根士。大恐於此娑婆國。行六度萬行。及修開悟佛知見道。或有倦勞。或有退轉。以佛方便。淨土成就根力而還。此土欲令成滿萬善大行。而此義。於如是類修行人中。有二種機。一者今生得利勝義。二者後生得利劣機。何為今生得利勝機。初心中有利根敏慧。開見經道。即解彼佛阿彌陀及我釋迦佛。建願示誨。勸往生者。是即諸佛善巧。所以不得止。其真實。為令諸眾生修行普賢大道是也。不求往生。即向普賢大道而行。即成大根菩薩。或有菩薩為往生故。觀佛身時見己身了。是心是佛。悟是理時。頓知此土時全是淨土。不轉是身。即是佛身。應時知得。成就根力。不借往生。真行方善。或有菩薩。為往生故。修行念佛者。不可得具十大心念。如已前依彌勒菩薩問之所答。是十念者。一切菩薩修行本念。為念佛故。『常修十念。念念通徹於十念者。即得成就菩薩大行。不借往生。直行萬善。或有菩薩。為往生故。「修行三心」。無暴。無散。無亂。無垢。無邪。是得至誠心。於其心相。無偽。無欺。無焰。無妄。無疑。無貪。無瞋。是施是戒。是智是理。是慧入悲。是敬是讓。是義是理。【是觀音心。是即佛心】。得大深心。於其心相。無麤無動。無散無亂。無卒無暴。無暗無迷。是忍是定。是慧是覺。是見是辨。是明是審。是慎是慮。【是文殊心。入即佛心】。得發願心。於其心相。無厭無倦。無懈無休。無退無轉。無放無逸。是進是方。是願是力。是勇是猛。是活是發。是格是致。【是普賢心。是即佛心】。是三心者。菩薩真行。心心成就。即得大道。不借往生。直行萬善。或菩薩能知佛慮。能聞佛。為往生故。修往生行。聞唯稱佛名。修有福者。皆得胎生。或宮殿中。或蓮華中。經五百十二劫。不見佛身。不聞正法。若有開悟五大智者。即得化生阿彌陀佛大菩薩眾。圍繞住所寶座之上。即見如來。即聞正法。即發信心。速解五智。所謂佛智者。心佛眾生。圓通根本。普賢菩薩法界大智。不思入智者。菩薩所住。不思議解。□□菩薩大權方便自在大智不可言智者。真空妙空。文殊菩薩般若大智無等無偏最上勝智者。諸佛知見。『觀音菩薩一乘大智。往生修行菩薩。欲得彼化生故。修行五智。阿彌陀佛以本願力。加被開悟。如是五智。即證諸佛無上大道不借往生』。直行萬善。如是四輩名為今生得利勝機。何為後生得利劣機。若有下根愚痴菩薩。雖見如是諸佛方便。不解不覺。不志菩薩大修行道。唯念著於彼佛國土快樂長壽。愚人是也。或有菩薩。唯稱名號。一向專念無量壽佛。一心不亂。唯入此道。不見他人是非好惡。不思他法勝劣高下。不對住他行。毀譽信難。不向他教遠近向背。唯恐自己罪咎邪惡。唯懺自已散亂麤動。唯責自己無道無法。唯愧自己不正不和。『修一心故。自然成善忘欲。亦忘邪見。及忘邪智。無罪無逆』。自然作成孝養慈悲柔和質直安樂之心。命終時至。遠離諸執諸著。即離生死。往生極樂下品蓮華胎生之中。無苦無惱。安樂歡喜。經多少劫時開蓮華。即見彼佛無上相好。即聞彼佛一乘法。漸開聖悟。次得聖位。或有菩薩強欲強惡。常作殺生。深著肉味。盜他財。大求富福衣服殿屋。美色亂行。憂悲短命。強求長壽。欲無頂。不知世理。暗心迷倒。聖人下教。賢人示化。尚不云何如是愚人。隨於其人。其性其意。聞極樂世界妙事百寶莊嚴。寶珠充滿。百味飲食。甘露湧勃遊行自在。無不隨意。菩薩眾生。壽命無量無數沙劫。神仙不及。人相好妙美。口天女。歡樂無盡。無晝夜春秋不來。無寒無熱。如仙宮年。尚於彼宮。出無對。言語道斷。心行所滅。令諸愚人欲所欲達願樂往生。漸漸增進佛境界。樂改惡行。善合於聖道。遠離邪毒。現世安樂。命終如願。即往極樂。蓮華胎生。時至開華。見淨土相。出人間仙宮天堂。所願滿足。修菩薩行。終至菩提。如是二輩。名為後生得劣機。

天王の質問で、世尊は四十餘年所經の中で、何時も良く念じて佛名を唱えなさいと言われます。如藥師・佛阿彌陀佛を心に相念相して、舌で稱える事で何の功德を得るのですか。天王よ、それには有四種義有ります。一に親近大聖、二に願樂聖□道、三に加受聖助、四に因緣聖入の是の義での大功德です。それでは、世尊が何度も繰り返し説かれる『常念觀世音菩薩。文殊師利菩薩。普賢。彌勒』何故なのですか。それは、觀音菩薩の念昌で耳根に圓通して大智慧を起し其の智慧體が、大慈悲で有り慈悲心でなので、大行の願が一切諸佛道體なので一切衆生の修行道で、念文殊者での大智慧も、念普賢者の大行願いも、念彌勒得者の大慈悲智も慈悲行者であり、佛道の根本で、過去諸佛も現在諸佛も未來諸佛も東西南北上下諸佛も其の大法に依るからです。悲智行無くして仏法は無く、一切の如来も此の智行で成佛者に成り得ます。(身口意の真髄が此にあります。)『無一入悲智行。佛法無一如來非智行得成佛者。無一眾生非非悲智行當成佛者。』この智悲行の外での成佛の法を説くのは外道の説く所で、七佛のでは無く十方三世一切諸佛も一切菩薩も智悲行での難行苦行で自己が渡り他をも渡します。この成佛道が本当の成佛道です。自修行無くしての智悲行道では、一佛及び一菩薩も存在しません。

佛力菩薩力に依り成佛得る道を、不自修行の功の他力での成佛を得る道者説は是は波旬(大悪魔)で、佛の説では無い。それでは、世尊何故に修諸善功德及觀佛稱名が往生淨土になるのですか。天王よ、初心菩薩及下根の士は大変に恐しい此の娑婆國での六度(波羅蜜)の萬行及び修開悟佛知見道の修行は、倦勞或いは退轉を防ぐ為の佛方便で淨土成就根力をもって還此土の欲令を成す滿萬善大行の為である。是の類の修行人の中で、二種類有り、一は今生得利勝義、二は後生得利劣機が有ります。何故に今生で利勝を得るかは、初心中に敏慧が有る利根の為に開見經道で、彼の佛阿彌陀及び我の釋迦佛の建願示誨を即解し、往生を人に勧める者は、諸佛の善巧が間違いない真実の説と、為に諸衆生修行の普賢大道で有ると、往生を求めずに即向に普賢大道を行い、即ぐに大根の菩薩に成り、或いわ菩薩の為の往生が有ります。佛身が己の身と見る時に觀が出来て、是の心が佛の悟での物事をして、此の土景全部が淨土であると確りと知ります。是の身が佛身と迷わずに知る時に根力が成就します。往生を惜しまずに真の奉善行をし、或いは有る菩薩の為の往生するとの、修行念佛者は具十大心念不可得です。この事は前の彌勒菩薩問の所で答ました。是の十念【念佛、念法、念比丘僧、念天(弥勒菩薩)、念戒、念施、念處寂靜、念出入息、念身、念死】者は一切菩薩修行の本念〖慈悲心〗で念佛の故に常に十念行をし、念念と通徹する十念者は即得菩薩大行を成就し、不借往生を惜しまずに直行萬善して、或いは菩薩の為の往生の故に修行三心〖信・普賢心、智・文殊心、悲・觀音心〗無暴、無散、無亂、無垢、無邪、で誠心に成ります。其の心相で無偽、無欺、無焰、無妄、無疑、無貪、無瞋による戒で智と理と成り、是の慧(心理を知る力)で入悲して是が敬、是が讓、是が義、是が理です。是が観音の心で佛心です。【是觀音心。是即佛心】此の大深の心を得、其の心相で無麤無動、無散無亂、無卒無暴、無暗無迷、是忍是定、是慧是覺、是見是辨、是明是審、是慎是慮が文殊心で即に佛心え入ります。【是文殊心。入即佛心】此の發願心を得て、其の心相で無厭無倦、無懈無休、無退無轉、無放無逸、是進是方、是願是力、是勇是猛、是活是發、是格是致が普賢の心が佛心です。【是普賢心。是即佛心】是が三心者で菩薩の真行です、心を良く成就させて大道を得ます。往生をおしまずに直行萬善をして、菩薩は良く知佛の配慮を知り、良く佛を聞く為の往生が 往生修行で、くを聞き佛名を称えるのが有福者の修行で、皆な宮殿に胎生、或は蓮華に化生します。御經を五百十二劫読んでも不見佛身、不聞正法ですが、浄土では五大智(大圆镜智、平等性智、妙察智、成所作智、法界体性智)の開悟者は阿彌陀佛大菩薩衆に即に化生します。住む所の寶座の上で如來を拝して、正法聞き真に誠の信心で五智を速解して佛智者と成り、心佛衆生の圓通(法性)根本の普賢菩薩法界大智の思考での無い智を得る者と成り菩薩に住す。不思議解法門(五次元世界)は菩薩が大權方便自在大智を言葉では不可の智者と成り、真空妙空の文殊菩薩般若大智無等無偏最上勝智者である事を諸佛は知見します。是が觀音菩薩一乘大智で往生修行菩薩の欲する浄土で、化生して修行五智の阿彌陀佛の本願の力で開悟する所の五智で、證諸佛無上大道に往生に惜しまず『觀音菩薩一乘大智。往生修行菩薩。欲得彼化生故。修行五智。阿彌陀佛以本願力。加被開悟。如是五智。即證諸佛無上大道不借往生』に直行萬善して、四輩名に依って今生において勝機利を得ます。後生は劣機得利で下根の愚痴菩薩で諸佛方便を不解不覺して、菩薩大修行道に進まず、只に念佛して極楽浄土佛國土での快樂長壽修行は愚人である。或いは菩薩が一向專念で無量壽佛の稱名を一心不亂に此の道に入り他人の是非好惡を観ず、他の法勝の優劣を思わず、他人の名誉棄損を指さず、他の教から背を向けて近依らずに、自己の邪惡の罪を咎め、自已の散亂麤動懺悔し、自己の無道無法を責めて、自己の不正と不和を恥じる事で、一心に修行して自己の本性が欲望を忘れて善行をして、そして邪見も邪智も忘れて罪を成さず、反逆せず。『修一心故。自然成善忘欲。亦忘邪見。及忘邪智。無罪無逆。』自然に孝養・慈悲・柔和・質直・安樂・の心を作成して命の終る時に諸執・諸著から遠く離て、生死を離れ(修行中に六生前以上の自己の生と死を観る時にも生死を離れます。法随観禅の科目)極樂で下品蓮華の中に胎生し往生します。無苦無惱の安樂歡喜での多少劫を時を経て、蓮華が開く時に 阿弥陀佛の無上相好を即見し、彼佛のかれる一乘法を聴きます。少し少し悟りを開いて次の聖位を得て、菩薩の強欲強惡、常作殺生、深著肉味、盜他財、大求富福衣服殿屋、美色亂行、憂悲短命、強求長壽、欲無頂、不知世理、暗心迷倒らの心が聖人の教に依り賢人に成って、尚この様な愚人に落ちずにその悪気性と悪意志にも成らずに、極樂世界妙事百寶莊嚴で説法を聞きます。其処では寶珠が充滿して百味飲食の甘露が湧き上がり、気持ち良く遊行自在の菩薩衆生は壽命無量無數沙劫です。神仙も及ばない人相の好妙美の口天女達は、歡樂が尽きることが無い晝夜で春秋の季節で、寒さ熱さが無い仙宮殿での時を過ごします。絶対に間違ってる言語道斷の心行を滅して、諸愚人の欲する欲達願樂往生を段々と佛境界に、增進させて惡行を改めて樂にして、善を以って聖道行に向かわせて、悪邪毒より遠離して、現世で安樂命終の願がかなえられ、極樂に行き蓮華胎生の時を経て開華し、淨土の世界を何所からもなく、人間仙宮の天堂を見て所願を滿足して、菩薩修行して菩提に至る二つの輩です。是が後生得劣機です。この様に人に依って、二種類の利得が有ります。大利益の諸佛如來は他の佛土で往生をして、自己の愚痴無智、知らない道理、闇の心や解聖教義理の理解を忘れるを取り除いて、自分に勝ちいて他の劣る人に教える為に、愚かな仲間になって此劣行為に勝つ其の最上勝行で、正法の誹謗中傷を除いて如來本願を取り戻す為がその本心で、是が阿彌陀佛常の[一乘]です。常に一乘の心で一切衆生等の為に下方して、悟の一乘妙道で劣悪行を止めるのが其の本意で、常に心を守り固めて娑婆世界修行大道で、極樂住安修行を行わ無いのが本意で発弘願(46年、未だに恩師印幻先生に勧められた発弘願が出来ない、愚鈍の私です。)を得るのが一心の往生で、愚人は此の修行が耐えられないので、やめる事がないように往生願を立て阿弥陀佛を心で念ずる娑婆安養の思いは一通平等で此界と他界隔たり無く、違いも無く阿弥陀佛を心で念ずるのも、浄土でも此処でも隔は無い、なぜなら一佛も衆佛、衆佛も一佛(一切一中、一中一切)で法身の一體の他に差も無し、人でも大君でも無我は同じく、而念ずる自分も念ずる他人も同じで心に差は無し、何所においても果滿の如來地で有り、梵王の果報はなお清淨で天上天下に見える如來の地の果滿も違いなし。この時に阿難が、世尊が己の前に言われた、光明遍照念佛衆生とは? 阿難よ、此の光明の照(禅相・nimitta)に念我念他に差別なくその心を照す衆生の觀佛三昧での三昧(Samadhi、定)で良く成見します。是の心が佛で法身を理解出来きるので、一乘道を歩めます。法身の光明は常に十方を障りなくなく照し、自己心と法身光明が合わさり自燈明に成ります。是が阿弥陀佛の因地本願で、此れを捨てずに取得しなさい。それでは、世尊。菩薩成就の觀(Vipassana)佛十念三心五智を如何にして成就し、その菩薩は永く此土に留まり、往生淨土を求め無いのですか? 阿難よ、その菩薩は佛の居ない世界で如來を戀慕し、他方の淨土での生れてを欲し得て佛を拝見して聞法をし、法樂を受ける樂者でその法を成就する者で、即得往生を他方の淨土及び都率天で生れ、この極樂者は即得の往生上品上生で、尊阿彌陀佛觀音勢至一切菩薩を拝見して一切佛を即遊見して正法・妙法華經・華嚴・般若一切の大乗を即聞します。都率天者は四十九重摩尼寶殿に往生して、親我たる牟尼佛、阿彌陀(拘留孙:: Krakucchanda: Kakusandha)佛、阿閦(拘那含牟尼:: Kanakamuni: Koṇāgamana)・寶生(釈迦牟尼:Śākyamuni : Gautama)・藥師(迦叶:: Kāśyapa: Kassapa)佛等を直見拝して、供養教主を即見して、彌勒、觀音菩薩、普賢菩薩、文殊、地藏、維摩詰及び虗空藏等の難見な菩薩及び不動威德夜叉三世難見明王を拝見供養し、又辨才吉祥、多聞王等の菩薩大天を拝見供養します。そして摩阿迦葉、舍利弗等、菩薩や聲聞を拝見して大乘の成佛法聞くとなり。それでは世尊、都率天に入養し安往生土を得るのはとても難しいのでは? 阿難よ、都率天宮には世界創生の取り残した土地が有り、一切凡夫が修行十善をして彌勒を念彼すれば、即に往生します。藥師佛を念ずる、觀世音・普賢・文殊等を念ずるも同じくなります。一切の諸佛が此の宮中に常在して、一切凡夫が常に諸佛を拝見する此の土地は、三世諸佛の補所土であるから故に、極樂世界淨瑠璃土が此の宮中に有ります。維摩(不思議解脱の法門を使い)が東方歡喜國土に入り其の時空で未完成の土地を斷取し、また阿閦如來が在る時空でも未完成の土地を斷取したので、弥勒菩薩が娑婆世界に下生した時に、其の土地は本還(エネルギー不滅の法則に依る:現代物理学の根本)します。是の宮殿が補所土で三世諸佛が常住するので、今の所は本所に還えりません。是の理に依って凡夫が往生都率天が易いのは、安養世界の無漏(取り残した)土が未完成に依るからです。比丘が居ないのは取り残しの、完成の無い修行道なのと安樂土の大乘土に依るので、比丘が往生するのは難しい事なのです。一切凡夫には依の二つの生れが有りこの二生とは、阿彌陀佛本願力の方便功で、蓮華を造作し九品(色々な因縁の衆生が)華中胎生しています。上者は一宿り、下者は十二大劫の中に功德の大小多入或いは、罪障輕重多少で蓮華開に多少の遲速が有り不同でその二生の内の一者は命の終る時に、此の土生において蓮華の中に入り、此の蓮華者は浄土での蓮華中者といえど、多少劫を経て自然に諸佛大道で先罪を懺悔して已の罪が消滅して自然に開悟し修行大道の為の一生の大道行の終わる時に合体して蓮華が即開して、其の時に本当に安樂世界に生れて阿彌陀佛、諸大菩薩の住む所に往生します。為に是が二生で九品の外有一生で此には四輩有り、一者は修行六度(波羅蜜)で開悟發智して菩薩道人となり、彌陀佛の前に直生します。二者は大阿羅漢成就で不転退の心の發願の大乘道心で亦た其の修行道で、阿彌陀佛の前に直生します。三者は未に盡諸漏も六波羅密も得ず、法華一佛乘典を但し受持して、説のように修行を随分し佛智見を達得に於いて開示悟入し、彌陀佛の前に直生します。四者は無上神呪の毗盧遮那、阿閦、寶生、不空、成就阿彌陀佛、三世諸佛等の、一同總持神便呪術をして、諸秘神呪、諸佛秘呪の所呪の呪成して、是を能く成します。是は諸佛の私助私成の呪の法成で無く、呪惡成善、呪迷成覺、呪罪成福、呪凡成聖、呪障成淨、呪難成易に於いての呪力者で有り、一切諸佛力の及ば無い所を意念で圓月中座五佛毗盧如來の放黃色光、阿閦青光、寶生赤光、阿彌陀白光、不空紫光を右手で五色光印を能く作り、口誦での神呪光明真言で呪自呪他を即成法身(即身成仏)で、彌陀佛の前に直生します。是の呪往生は一切善人惡人智人愚人を選ばず、佛力の不及ない人を呪力で成します。唯し、過去世に於いて一障の有る不結緣者、不殖因者の不遇此呪者に於いて遇呪を以って、不發信心、失大利の是の惡人の為です。世尊、不五佛諸佛とは、又有る惡人が此の呪を聞く力の功での呪力の故に悪い事もするとは? 阿難よ、汝の言葉の理の故に諸佛の秘密を妄想しない人に教えます。宿善に依って此の呪を得遇し、是は信心の呪に依る三密(身口意)力で、自然に惡を忘れて、自然に罪が去り、心身が清淨する善人を作ります。【信心持。依三密力。自然忘惡。自然去罪。心身清淨。作善人也】。世尊の前のでは、十念(念仏、念法、念僧、念戒、念施、念天、念休息、念安般、念身、念死の修行法)生は下品下生の為と今の十念は化生往生為とは? 阿難、前のは臨命終の時に依る知識の教で、具足十念は日々の惡逆の時の功少の故に往生は下品下生であり、今のは常に修十念で至十念道の道人に至る故に往生は寶座の上で成る。それでは、世尊の阿彌陀本願で五逆生及び謗法生者は除くと、ここでは下品下生人者は謗法五逆は皆な往生を得るので、差別が何処に有るのですか? 阿難よ、阿弥陀の本願は是れ皆な彼の佛の往生法で成るを聴き落とした、「彼の如來念が我の佛を曲げて、今の逆罪」が惡人の往生で、是は不當理と考えるのでは、阿彌陀佛は不成就願、不成佛道の應墮無理罪過の中で非大聖で下品下生の人に依る智識の教です。誠に至り先惡先罪を懺悔して一切の惡を捨て清淨成る改心で正心に成り、具足十念で改めて新人に成り、是の人が本当に正心で無罪を知って善人の仲間に成り、是で自から往生して私的な佛で無く、また如來の加被力の者として、是が善人の徒と成ります。この人が佛の加被者で無いのは、凡聖の論では無い。一生の人生において、善人の人生を送り、都率天宮に行き易く平安無事が聖者の論です。この人生の二つの生き方で、惡人生で以って、平安世界に易くの都率天難しい。但し呪に依よる三密行の実践一乘道は佛の知見者で平安に都率天に生き易くやすく問題なしです。世尊、三密行呪の下凡の夫下愚能としての堪修行に於いて心月者はとても耐えられないとは? 阿難、真言行人に四種根があり、それは上智行人の三密行だからです。

薄伽梵在楞伽山中。為大慧菩薩等天仙大眾。極大乘法。佛告阿難。汝等人天實欲成佛。【當直修如來真實禪。治身治口治意】。以其散亂者。能入自覺聖智境界。成就無上佛身。阿難當知。其禪那者。以三種義。成就其體。一者工夫法相法理。解除邪理。證致正理。二者攝取聖道。正心解治放心。證得道心。三者會感三昧覺道解。轉凡質證成聖果。佛告阿難。是如來禪有前方禪中得道禪後真實禪。云何方便禪當觀毗盧遮那佛空理一道身。是此毗盧遮那如來。法性虗空體法界身。遍一切界。佛告阿難。先欲觀如來虗空體。當□觀得自己一切心體。無相離。寂滅空莫。而無一毛。『我(我所有)是一虗無佛法身。觀之了令心為空真際體。而得一切無動境。是為定成。能入畢者。離一切煩惱。永無歸生死。是名前方便禪。亦名大乘初門入道觀』。佛告阿難。云何中得道禪。菩薩欲觀如來法界身。當觀自己一箇心相。元來妙理。圓滿微塵藏海。而自成自覺聖智體。常樂我淨德。此有五菩薩德。當修行是如來禪道。云何五菩薩德。今思過去無數大劫。於阿彌拏之阿彌拏。劫前之阿僧祇之阿僧祇劫前。出世阿彌拏之阿彌拏諸佛。阿僧祇之阿僧祇諸佛於其諸佛。有一毗盧遮那佛。【此毗盧遮那佛一躬。分定慧身成二菩薩。第一智慧身菩薩。其名曰應聲菩薩。是毗盧遮那佛右身分也。第二禪定身菩薩。其名曰普賢菩薩。是毗盧遮那佛左身分也。應聲菩薩。依智慧本體。分理智悲三體成三菩薩。元身理法。是應聲菩薩也。右手智慧。是空藏菩薩也。左手慈悲。是地藏菩薩也。普賢菩薩依禪定本體。分智行二體。成二菩薩。元身行願。『是普賢菩薩別身知見。是文殊菩薩也』。應聲菩薩住行願。西方主東方慈悲普賢菩薩。住慈悲。東方主西方願空藏菩薩住智慧行。南方主北方儀業。文殊菩薩住儀業。北方主南方智慧。地藏菩薩住誠信。中央主四方德用。故是一菩薩娑婆有緣菩薩。【此五菩薩法身自體周遍法界。故等流。而成人天眾生五理性心】。云何五理性心。一釋迦理性心菩薩當觀自己元心。有一箇大慈大悲心。是諸佛心。是諸天心。世間有善人。是天地順生。人世能饒益世間。為是人生慈悲。是自然理性具心也。束諸心成愛和心。束諸業成撫育業。是心是業。純善心純善業也。世間有惡人。是天地逆生人也。會災厄苦害。為是人生悲心。是自然理性具心也。束諸心成惻憐心。束諸業。【成救濟業是心是業。純善心純善業也】。向父母成孝。向子僕成慧。是心最上善心也。此心為天之性。而覆葢育養萬物。能練熟此心。成常恒不變之位。是為定成二阿施理性心。菩薩當觀自己心理。有一箇義理堅固心。為是菩薩行。是天眾道。一切世間皆依義正乎而立。依道理而利。是心是道心。是理是道理善人依之得利。非於義理心有利心。道理自有利。惡人為焉被尅。非於義理心有尅心。道理自為尅。是心向君主成忠。向眾倫成宜。此心為天之體。而堅同保持。能練熟此心。成常恒不變之位。是為定成三尸迦理性心。菩薩當觀自己心理。有一箇敬儀節格心。是上天法是眾聖法。其體常不變。其用應於時。大梵王。天定是法於天。金輪聖王。定是法於地諸佛。定是法於法界。菩薩定是法於人常。是心是正心。是法是正法。是心能成世間方法及天地之尊卑上下位。能緣熟此心。成常恒不變之位。是為定成四般若理性心。菩薩當觀自己心理。有一箇智慧照明心。是諸佛光。是諸天明世間有山原谿谷河海橋船。無光明。則何行往云。人間有物事是非萬法迷悟。無智考。則何執行云。多大少小。皆智慧之任也。能練熟此心。成常恒不變之位。是為定成五曇末理性心。【菩薩當觀自己心理。有一箇誠信道源心】。是薩埵德道。人依世間出世。失此誠信。[則一切萬法無得其據。上四心]。皆得此地而為位。能練熟此心。成常恒不變之位。是為定成。佛告阿難。所謂釋迦理性心。以大慧大宥為事。又有阿施理性心制之。而不救令釋迦理性心恣慧恣宥。阿施理性心。以尤成敗為事。又有般若理性心制之。而不赦令阿施理性心恣成恣敗。般若理性心。以廣計遠識為事。又有尸迦理性心制之。而不赦令般若理性心恣計識。尸迦理性心。以專讓專節為事。又有曇未理性心制之。而不赦令尸迦理性心。恣讓恣節曇未理性心。以偏實唯同為事。又有釋迦理性心制之。而不赦令曇未理性心。姿實姿同。如是有互互制詰之理。而不赦毛端之妄。佛告阿難五理性心。得其互制。居其本位。合本理而不亂。譬如轉輪聖王城。堀石石相疊。而互制之。互詰之以不散亂墜落。而城形堅固德。五理性心。如是互制互詰。不令過分。不令不足。於是釋迦居善。阿施居宜。般若居理。尸迦居真。曇末居道。而各位矣。世間悉依之。大保建立。佛告阿難。【是此五理性心者。唯一心也】。共有共無。唯其有以為其成。又其無以得其善耳。如環無端。能觀其元體。而成堅固。又其應用而成。正明以使物事無量。皆致善也而已。如是五理性心成就者。下品在人間。修賢聖道利自利他。令世界安樂。導眾生於菩薩道中品入神仙。修菩薩道。化龍鬼妖魅導佛道。保護世界。上品生天宮。修菩薩道。保天鎮地。利益眾生萬物。最上品不定。或交地獄餓鬼畜生。或住人間神仙天宮。或住他方諸佛淨土。分身無量。現形無數。而行佛道。【自利他益。佛告阿難如是善心】。尚有制詰。成真善也。況於惡心。一切惡心。皆為五理性心。被制詰不能生發。佛告阿難。生發惡心。惡事有二源。一名善過源。二名虗無源。云何善過源。五理性心。偏過於一以不五者並在。亦復一一長過。不五者制詰。則其佛性之理性。為無明妄氣。遂被漂侵。為妄過。速成惡心。其慈悲者。成愛著心。其義理者。成憎害心。其智慧者。成侫姦心。其敬儀成謟媚心。其誠信者。成偏頗心。大損聖道。譬如療病人。服藥治病。而過服。以還病藥毒。云何虗無源。以五理性心。不至常成。而忽放之。則於其間隙。即生貪悋瞋恨愚惑妄想等邪意。若生此心。則此心速成就惡作。身成殺害盜婬亂謾儀等邪業。口成惡口兩舌妄語綺語等邪言生而破人。損身耻名。亡子孫。滅倒家門。死而落地獄餓鬼傍生修羅。終無離生死輪迴憂悲苦惱。汝等世。如出世六通聲聞緣覺及世間五通天神仙鬼等。若見掌中安羅果。始終森羅故。不可委。如是悉觀世間微塵。得一切無惑一切成德。位是為成定。是名中得道禪。亦名大乘中中常修道觀。佛告阿難。云何後真實禪。菩薩欲觀如來全體成佛身者。即以應聲菩薩釋迦心。修智禪離壽者相得樂。德盡心意識有為。至無量壽佛果。證妙觀察智。住無緣慈悲。以普賢菩薩阿施心。修聖禪。離眾生相。得常德。盡阿羅耶有為。至阿閦秘佛果。證大圓鏡智。住無作行願。以空藏菩薩般若心。修自禪。離我相。得我德。盡我我所有為。至華開敷佛果。證平等性智。【住無得福德。以吉祥菩薩尸迦心。修覺禪】。離相人。得淨德。盡五根大識有為。至天皷音佛果。證成所作智。住無相知見。以地藏菩薩曇未心。修如來禪。離法非見。得波羅德。盡無明惑有為。至大牟尼佛果。證法界體智。住無漏覺果。三世諸佛皆依此道。轉因成果。取正覺名如來應供正遍智妙行足善逝世間解無上士調御丈夫天人師佛世尊。是名後真實禪。亦名大乘終室得道觀。佛告阿難。是修成佛禪者。下品行者。初發心時。便成正覺。住凡夫地。即悟成佛。中品行者。得成三時。入普賢道。上品行者。是名一生補所。最上品行者。即是三世諸佛。佛告阿難。修是如來禪者。於前中後位。雖未得實行實證。世間者。治人間道。下品道者。得善人位。中品道者。得賢人位。上品道者。得聖人位。現在明德。後生天宮。出世者。治沙門道。【下品道者。得善人位。中品道者。得覺悟位。上品道者。得三昧位。現在妙異。後生淨土】。佛此經已。一切菩薩聲聞天仙鬼。一切人民大歡喜。

大梵天王問佛決疑經

薄伽梵(梵語भगवान्,Bhagavān巴利語:Bhagavā、大黒天の尊敬語)が居るスリランカのスリパーダ山中で大慧菩薩等や天仙大眾の為に、世尊は極秘の大乘法を説きました。阿難、汝ら人間や天神が實欲成佛の宝を望むなら、如來の真實禪を本当に修行しなさい。此の修行で、身を治し口を治し意を治します。【當直修如來真實禪。治身治口治意】是を以って散亂者は、自覺聖智境界に良く入り、無上佛身を成就します。阿難よく知りなさい、其の禪那(Janna,禅定)者は三の種類の義で其の體を成就します。一つは工夫法相の法理で邪理を解除して正理に證致します。二つは攝取聖道の正心で放心を解治して道心を證得します。三つは會感三昧覺道解で轉凡質證成聖果にします。阿難よ、是の如來禪は前の禪中での禪道の後で真實禪を得ます。方便禪は毗盧遮那佛空理一道身を当に觀て、是が毗盧遮那如來の法性虗空體法界身で、一切の大世界に遍く広がってます。阿難、如來の虗空體を觀たければ、自己の一切心體(NamaRupa)を觀(Vipassana)で得なさい。無相は離して、寂滅空莫(絶対空)の一毛も無し。『我〔我所有〕の是が一虗無佛法身で此の心の為に空真際體を観ます。一切無動の境(時空)を得て、是の為に定が成り能く完成して、一切の煩惱を離れて生死より永遠に離れます。是が方便禪で大乘初門入道觀です。』阿難、禅中での禪道とは、菩薩が如來法界身を觀たく、自己の一箇心相を觀て、元來の妙理の圓滿微塵藏海で持って自覺で聖智體を成して、常樂我淨德の此の五菩薩德が當に修行の如來禪道です。五菩薩德は今より過去無數大劫での、阿彌拏之阿彌拏【数での文献は見当たらず。無量大数の上数で、インド太古代文明の数で消失、BaghvajitaのBrahmannの秘書に可能性が在る】劫前の阿僧祇(10の56乗 、他の説も有り)之阿僧祇劫の前に阿彌拏之阿彌拏諸佛が出世した佛と、阿僧祇之阿僧祇諸佛の出世佛が一身毗盧遮那佛である。此の毗盧遮那佛一体に定と慧の二菩薩身から成り、第一は智慧身菩薩の名は應聲菩薩で毗盧遮那佛の右分身です。第二は禪定身菩薩で名は普賢菩薩で毗盧遮那佛の左分身です。應聲菩薩は智慧の本體で理智悲三體と分かれて三菩薩に成り、理法の元身で應聲菩薩です。右手が智慧の空藏菩薩、左手が慈悲の地藏菩薩です。普賢菩薩は禪定の本體で。智行の二體に分かれて二菩薩に成り、行願の元身です。『是の普賢菩薩の別身が知見で文殊菩薩なり』。應聲菩薩は行願に住します。西方主は東方の慈悲の普賢菩薩の慈悲に住み、東方主は西方願の空藏菩薩の智慧行に住み、南方主は北方の儀業の文殊菩薩の儀業に住し、北方主は南方の智慧の地藏菩薩の誠信に住み、中央主の四方德用と成り故に一菩薩の娑婆有緣菩薩となります。此の五菩薩法身自體が法界を同じく周遍で等流して、是によって人と天神の衆生の五理性心となる。五理性心を一釋迦の理性心の菩薩である自己元心を當に觀て、一箇の大慈大悲心が諸佛心であり、諸天心です。世間の善人は是の天地の順生が人の世を、世間を良く益して、人生の慈悲で自然に理性になる心なり。諸心を束ねて愛と和の心を成して、諸業を束ねて育児の様に社会業を成長させ、是の心の業で純善心で純善業が出来ます。世間の惡人は天と地を逆にして生る人で、災厄苦害に会う為に悲しい心の人生です。是が自然理性の心です。諸心を束ねて哀れみの心を成して、諸業を束ねる。救濟業を此の心で業成しするのが純善心の純善業です。父母に孝を成し、子僕に慧を成し、是の心が最上の善心です。此の心の為の天性で、萬物を良く養育して、練熟の此の心で良く常も不變で成位します。是の為に二つの施理性心が定成します。菩薩は然りと自己の心理を觀て、義理堅固一心での菩薩修行で是が天衆生の道です。一切世間は皆な義正に依り、道理の利が出来て、是の心が道心です。是の理の道理で善人に依って利得が出来ます。義理心での利心で有らずば、道理が自分の有利で惡人の為になる非義理心での非情心で道理が自分に惨くなります。心を君主成忠にして、衆生の倫理が宜しく成ります。此の心の為の天體で、此れを確りと保持して能く此の心を練熟し、常恒に変わること無く成して、三つに尸迦(中国発音、Suka:Pali語で快慶:Duka反語で苦毒)の理性心を定成して、菩薩が自己の心理を當觀する。礼儀正しい心に依って、是の上天法と是の衆生の聖法が常に不變体で、適用されるます。大梵王、天が定める法に於いて天の金輪聖王が是の法に於いて地の諸佛を定めます。此の定がの法界の法です。菩薩は定の法に於いて人を常に是の心と是の正心によって、是の法と正法になります。是の心で能く世間方法及び天地之尊卑上下位を成して、能く緣を熟す此の心を、常恒に変わること無く成して是の為に四つに般若理性心が定成し、菩薩が自己の心理を當觀して智慧照明心(Nimmita)と成り、是が諸佛の光です。是で諸天が世間有山原谿谷河海橋船を明します。無光明は何故か(若き日に此の質問を印幻先生に質問しました。)、人間は物事の是非の萬法で迷悟し、無智考です。何にこの事に成るかは、是による、皆な智慧の多大か少小かに依る練熟の心次第で、常恒に変わること無い定で、五つに曇るは末理性心(Akusara:欠けてる心)に成るからです。菩薩は自己の心理を正しく觀て、誠信(Sada・Sachi:34善心点のKusara[欠けてない心]の中の二つの善心点)道(法随観禅)で心の源のを観る。是が薩埵(衆生)の德道で、是によって、人が世間より出世します。此の誠信が無ければ、一切萬法も無得で先に述べた四つの心も同じく、皆此の地を得る為に、能く此の心を練熟して下さい。この定めは常恒に変わること無い定です。阿難よ、釋迦(應聲菩薩)理性心は大慧大宥(真の友人で智慧)です。阿施(普賢菩薩)理性の心の作用は、釋迦理性心の勝手気ままなを容赦なく制御します。又 阿施理性心の勝手気ままを、般若(空藏菩薩)理性心は容赦なく制御し、般若理性心の廣計遠識を尸迦(吉祥菩薩)理性心の作用で容赦なく般若理性心の気ままな計識を制御します。又 尸迦理性心は特別に有るので、曇未(地藏菩薩)理性心の作用で容赦なく気ままな尸迦理性心を制御します。勝手気ままな曇未理性心も同じ様に、又釋迦理性心の作用で容赦なく勝手気ままな曇未理性心を制御します。この様に、お互いの理の作用の姿實姿同(全く同じ)で、完全に一致します。阿難よ、五理性心は其の互の作用でそれぞれに在り、合本理には一毛の亂れなく、例えれば轉輪聖王の城の堀石の石相疊(Cusco,Peruの巨石壁群)の様に髪の毛の隙間も無く、お互いに組合って、不散亂の墜落が無い城の形堅固の德が五理性心です。この様に、お互いに制御し合って過ぎる事も、足りない事もなくこれらが釋迦の善、阿施の宜、般若の理、尸迦の真、曇末の道であります。世間はこの事によって大平安に成ります。阿難よ、【是れ此の五理性心が唯一の心です。】有無ではなく、只この様に有って、成り立っていて、よく聞こえる耳のように円には端が無い様にです。良くこの元體を觀て、確りとして應用を成し、正明をもって物事を無量に使い、皆な善きに成るのが五理性心の成就者です。 下品の人間世間に於いて、修賢聖道で利自利他で世界を安樂にし、衆生を導き菩薩道の中品に入り神仙の修菩薩道、化け物の龍鬼、妖魅を佛道に導いて、世界を保護して、上品の天宮に生れて、修菩薩道に於いて保天鎮地で利益を衆生萬物に奉仕して、最上品に居らずに、地獄餓鬼畜生と交わり、或いは人間、神仙、天宮に住み、或いは他方の諸佛淨土に住んで、分身無量の現形が無數で佛道行するのが、阿難よ!【自利他益が善心】なのだ。心を定めて真善を成しなさい。この状況に於いての惡心者の一切惡心も皆な五理性心が制御不能が生發する為である。阿難よ、惡心の生發に二つの惡事の源が有ります。一つに過たる善の源、二つに虗無の源です。それは、過たる善の源とは五理性心の偏より過ぎに於いて五理性心の不並が在る為です(不調和)。また復一したり、一長過過ぎたりで不五理性心の制御が出来なくなり、佛性の理性が無明妄氣の為に心がうっかりして、惡心が速成し其の慈悲が愛著心に成り、其の義理が憎害心に成り、其の智慧が侫姦心に成り、其の敬儀が謟媚心に成り、其の誠信偏頗心に成って聖道が大損し、病人が用療しなければなりません。服藥での治病は。服み過ぎによって藥毒に成り、病に戻ります。虗無の源とは、五理性心が常に成らず、その奔放より其の間隙に貪悋(惜しむ)、瞋恨、愚惑、妄想、等邪意が即生して此の心に依って、此の心の惡作で身成殺害、盜婬亂、謾儀等の邪業を成就して、惡口、兩舌、妄語、綺語等の口成邪言で人を破壊し、不名誉にし、自己の子孫と家門を破滅させます。死後は、地獄、餓鬼、傍生修羅に落て、終りのない生死の輪迴憂悲苦惱より離れられないのが、汝等の世である。六(天眼,天耳,他心,神足,宿命,漏盡)神通、聲聞、緣覺、また世間の五通(天眼、天耳通、他心通、宿命通、身如意通)天神、仙、鬼等が出世間して、安羅果を得て掌中で見るように、森羅万象の始終を見る故に一般論では説明が出来ないのです。また世間の微塵まで悉く觀ます。一切の無惑と一切の德を成し得て定と成り、是が中得道禪です。又は大乘の中での中常修道觀である。阿難!後真實禪とは、菩薩の觀欲で如來全體の成佛身者であり、應聲菩薩釋迦心です。智禪(法随観)を実践する人々は樂を得て、尽きる事の無い德の心意識の為に、無量壽佛果に至り妙觀察智を證して無緣慈悲に住して、普賢菩薩の阿施心の聖禪を修めて衆生相を離れて常德を得ます。阿羅耶(深八識)の尽きる事がない為に阿閦秘佛果に至り、大圓鏡智を證して無作行願に住し、以って空藏菩薩般若心で自禪を修して我相を離れて、我德を得ての最大の努力の為に華開敷佛果に至り、平等性智で無得福德に住み以って吉祥菩薩・尸迦(Sukaの中国音訳でPali語、意味:快慶)心の覺禪を修して人より離て淨德を得て、尽きる事の無い五根大識の為に、天皷音佛果に至り成所作智を證して、無相知見に住し以って曇未心の如來禪を修。法を離れて非を見ずに波羅德を得て、無明惑が無い為に大牟尼佛果に至り法界體智を證して無漏覺果に住して、三世諸佛皆な此道に依って轉因成果して、正覺名如來應供正遍智妙行足善逝世間解無上士調御丈夫天人師佛世尊を取得します。是が後真實禪で、亦の名が大乘終室得道觀です。阿難よ!是の成佛禪修者は下品行者で、初發心の時に便成正覺して、凡夫地に住して即悟に成佛し、中品行者で三(身口意)を成し得た時に 普賢道に入り上品行者と成り、是の名が一生補所で最上品行者です。是が三世諸佛也。阿難よ、如來禪修し者は前中後位に於いて、漏れなく得實行實證します。世間の者は治人間道で、下品道者は善人位を得て、中品道者と成り、賢人位を得て上品道者の聖人位を得、現在明德、後生天宮、出世者、治沙門道。【下品道者は善人位を得、中品道者は覺悟位得、上品道者は三昧位得、現在妙異の後生淨土】。佛此經に依って一切菩薩聲聞天仙鬼と一切人民大歡喜しました。

大梵天王問佛決疑經 

菩提 般若究仁伽 比丘(Bodhi Panna Gunika Bhikkhu)こと水源 徳性沙門 翻訳二千二十二年十月吉日

何とかして体験による翻訳なので、正式な形式では無いので 、この後は真の体験修行学者にお任せします。また今後の審議を実際の現状社会問題の解決策になる事を楽しみにしております。

水源合掌    二千二十二年十一月一日

Ecuador Andes より。

水源禅師のご法話

Oct 1, 2022

Ecuador 2022.10

Image 1 of 9

その後、皆さんお元気でしょうか?

最早十月に成りました。私は未だに海辺での家の改築で、職人さんの仕事を見てるだけで時間だけ早く過ぎ去ります。でも瞑想が朝夕に出来るので心軽やかな生活の日々です。日曜日には、中央市場に食料品や日用品を買うのが楽しみで、良い食材を見つけて職人さんへ週一回の食事を作るのが又楽しいのです。食事をした後の職人さんは、目を丸くして全身で美味しさを表します。食材が新鮮で良いために、私も美味しく頂きました。生活費はカナダより、大変に安価なので安心して過ごせます。

所で世界は益々烈しく二極化が進み、現在の米ドル国際経済学理論が崩壊に進み、北米・ヨーロッパと世界経済がとても悪い方向に向かい、戦争だけの博打経済の繰り返しです。 ナポレオン戦争、第二次世界大戦、と二度ロシアに敗れて今度の三番勝負ですね。情勢は世界がとても危険な状態になってます。勝負は西洋の負戦の様で、ロンドン経済がとてもおかしく成りました。北米では食料品の買いだめで、現金のある人は不動産とか現物貴金属を買いあさってます。カナダの方には4年前より準備してあるので、此方で安心して仏道の修行が出来ます。

前回の続き、佛大梵天王問佛決疑經(宋代)を続けます。言葉の上で古代の漢文なので頭を抱える事が度々有りますが、幸いにも南伝と北伝禅の体験が助けになります。

爾時世尊從起梵王以身為座妙嚴天座。著於本座。告大梵王。汝於過去無量中。修菩薩道。住高地位。能問是法。於末法濁惡世中。相續諸佛大道心法。令不斷。咸是所以依汝力也。尚有所以思。悉恣問之。如來為汝演正法。大梵王言。善哉世尊聽問如是。我當問之。如來先經。為未之。為未示之。為既示之。佛告大梵王言。我先已。為既之。為舍利弗謂。不可以言宣是也。時舍利弗。面會此法。即得當成華光佛記。亦復龍女。以一寶珠。無句上之。

この時に、世尊は梵王(大梵天王或わ大梵天・梵語:Mahā-brahmā(-deva)・娑婆世界主・大宇宙の主)の化身である妙嚴天座より立ち上がり その席に向かって、大梵王よ汝は過去無量中において菩薩道の修行をしたために、高地位にを獲得したのです。この法門を良く心の中で観察してください。末法濁惡世中において諸佛大道心法を相續して絕える事の無い様に、この法門は汝努力で獲得したもで有る事をよくよく思い、又問いなさいと正法の道を示しました。大梵王は世尊様の良き教えを受け止めて問いただします、と答えました。今の教えは、聞いた事も見たこともなく、誰からものこの様な教えは有りませんでした。  この法門は私が舎利子に示した教えで、華光佛のおしえです。舎利子は直ぐに理解しました。又龍女と一寶珠(三千大世界に値する一宝石・法華経)の話も記録に在りません。

龍女。以一寶珠。無句上之。如來又也速受寶珠。無句受之。龍女又依此佛心道。即得成佛。亦復是也。大梵王言。若如是者。今日如來。以此一法。為最真實。佛言如是。如汝所言。舍利弗者。過去劫來。不離於我。今日亦然。我俱不久入於涅槃。不留我後。龍女已得他方成佛。非我弟子。其法不傳。皆如無耳。今日有獨摩訶迦葉。傳真道象。我滅度後。至於末法五濁惡世後五百。不佛道。唯在迦葉。獨付傳中。是故名曰唯是真實。大梵王言。如來先後五百。其五百是何時也。佛言。夫其五百者。我滅度後。佛法住世。正法八百年。像法千二百。末法五千五百年。已去正法像法末法。後所有年。五百是也。大梵王言。正法像法末法。及後五百者。是謂何世何國然也。佛言。其世是人間世。而非天世及龍世也。亦復其國。是閻浮中。隨機諸國。非必一國。所以者何。天世龍世。是聖者世。而無年限。但有人世。上清下濁。上盛下衰。是故有限。亦復國國。時改機變。或有天護。或有聖護。或無天護。或無聖護。或有神護。或有仙護。或無神護。或無仙護。人機無量。國隨人機。是故非必一國然也。梵王白言。世尊如是。如佛所。國機不同。或有有緣。或有無緣。或有護安。或有護難。茲興彼廢。茲廢彼興。佛法東漸後五百。留法不。利益眾生。

龍女は一寶珠を無言で献上し、如來も無言で速やかに一寶珠を受け取りました。龍女も同じくひたすらに佛心の道を歩んだので、如来である釈尊が受け取った時に、仏果をに得ました。大梵王は釈尊に、この方は今言われた法門で本当に佛に成られたのですか?と、聞きました。 お釈迦様は、汝が聴く通りであると答え、舍利子もまた過去の劫以来、私の傍いてこの法門の道を聞いた時より、菩薩道を歩む事に成りました。我が涅槃に入った後は、龍女がこの法門で他の世界で成佛しますが、私の弟子でもなく、伝えたことも有りません。この法門は誰とて聞くとも無い極秘法で、今、摩訶迦葉一人だけが心で受け取りました。像画道を真に伝承し続ければ、私が涅槃に入った後でも、末法の五濁惡世(世界の成立から破滅に至るまでの成住壊空の四劫の住劫の滅劫に起こる、五つの汚れに満ちた悪い世の劫濁、見濁、煩悩濁、衆生濁、命濁の世)時の後五でも佛道断絶しません。只迦葉一人だけに、今の真実を心伝しました。 大梵王はその後五百とは、何時の五百ですかと尋ねました。それは私が涅槃に入った後の佛法が世に定着した、正法八百年、像法千二百、末法五千五百年の、後五百です。大梵王は、それでは正法像法末法の後五百歲はいつの世の何の国ですか、と問いました。それは人間世界世で、天の世でも龍世の世でも在りません。その国は閻浮(閻浮提えんぶだい、サンスクリット語जम्बुद्वीप 、 Jambudvīpa 人間が住む大陸)の中の国々で一国だけでないのです。そして天界龍界聖者界には年が無く、人世界にだけ年齢があります。そして清より濁に至り、盛えより衰に至ります。それで国々には限りがあり、変わるときに時に天護、聖護又は無天護、無聖護と一定では無いのです。同じ様に時によって神護、仙護或いは無神護、無仙護。人々や機械類は数しれず、それに一国だけではないのです。それでは世尊様のお話では、国々に色々な違いがあり、それで有緣、無緣、護安、護難が有り、栄えては滅びて 滅びては栄える。それで佛法が東に伝わった後の後五百年でも法が断絶せず、人々に福田を恵むのですね。

爾時大梵天王白佛言。世尊出世。四十餘年。種種法。云何有未曾有法耶。云何有及言語法耶。願為世間一切人天。能示己自。言了金色千葉大婆羅華。持以上佛。而退捨身。以為床座。真誠念願

そのときに大梵天王は、世尊が世に出て以来四十餘年に成りました。その色々な法はこれまでにない法門で在り、説法です。世間一切の人、天人の為の願いで金色千葉大婆羅華を仏へ献上して、自分の気持を表して、質問を終わり退席します。心を込めて参拝して自分の席に戻りました。

爾時世尊著坐其座。廊然拈華。時眾會中。百萬人天。及諸比丘。悉皆默然。時於會中。唯有尊者摩訶迦葉。即見其示。破顏微笑。從座而起。合掌正立。有氣無言。爾時佛告摩訶迦葉言。『吾有正法眼藏涅槃妙心實相無相微妙法。不立文字。教外別傳。有智無智。得因緣證』。今日付屬摩訶迦葉。摩訶迦葉。未來世中奉事諸佛。當得成佛。今日亦堪為世間師。佛告諸比丘。如來今者不久滅度。汝等比丘皆悉能依摩訶迦葉。入大乘門。修行佛道。告摩訶迦葉。無有餘法。唯一心性。佛。過去諸佛。現在諸佛。未來諸佛。已當入而已。『一切諸佛。依一心性』。已成佛道。現成佛道。當成佛道。一切眾生亦復如是。若謂餘法。尚有更一。諸佛成佛。眾生成佛。即外道。非七佛。非十方佛。迦葉當知。汝所付屬。八萬藏經。是諸教者。是即乘一心器也。譬如世間牛車馬車。是為諸法乘之渡於道路器也。所有教經亦復如是。汝能奉持。

その時に世尊はそのままで座ってその一華をかざして居りました。この大集会には天人、人と比丘達は皆な默然、尊者摩訶迦葉だけはその奥義を理解して笑みを浮かべて、席より立って 合掌し無言で居ました。この時佛は摩訶迦葉にこの様に話しました、今より【私の正法眼藏涅槃妙心實相無相微妙法を因緣で得た證を不立文字で教外別傳である、智慧の有無にかかわらず】『吾有正法眼藏涅槃妙心實相無相微妙法。不立文字。教外別傳。有智無智。得因緣證』、汝の心と身体に付屬したのだ。摩訶迦葉よ、未來の世の中で諸佛に奉事し成佛して、今日に値する世界の師になりなさい。佛は諸比丘に、これから不久涅槃に入るので、汝等比丘は皆な摩訶迦葉に心から頼りなさい、そして大乘門道に入り、佛道を修行してください。摩訶迦葉よ、この法門は余す事なく只その【一心性】(心が一つの事柄だけに集中している状態になること)によるもので、全ての佛、過去諸佛、現在諸佛、未來諸佛はこの法門によるものである『一切諸佛。依一心性』。これが佛道、現成佛道、當成佛道であります。全ての衆生は、いっそうこの法門を余すことなく修行して諸々の佛に成佛してください。衆生が只修行なくしての成佛は、七佛の教えでは無く、総ての佛の教えでもありません。迦葉よ、この事を確りと知ってください。汝に付屬する、この法門は八萬藏經であり、諸々の先生です。一心と言う牛車や馬車に乘る車と同じである。世間ではこの様な乗りもので、旅をしますが、諸々の法門も同じであるので、汝は良く受け継ぎ保持してくださいと、述べました。

爾時摩訶迦葉。歡喜踊躍。為佛作禮。而白佛言。世尊此法實難遭者。誠是直道。誠是妙道。我昔遇佛。出家修行。偏厭生死。唯求涅槃。但修無為。不求是法。但了空理。不知是法。難行苦行。多年作勞。得阿羅漢。思之誠難。今日如來。最上妙示。『唯那事。非年非劫。非難妙易。令我成佛』。無有疑惑。雖非實至劫數成時。三十二相。八十種好。紫磨金色。『妙覺成佛。實知法身。是心是佛。三世諸佛。一軀妙體』。今思已前。於多年中。難行苦行。是勞無功。亦多年中。求空無為。皆虗假法。更非實法。今日見得是真空法。其相正空。而性不空。其體無為。而性圓滿。一切眾生唯依是法。當得成佛。佛告摩訶迦葉言。如是如是。如汝所。汝於未來。當得成佛。如我今日是法。爾時世尊。此言已。即從座起。還坐本座。無語無動。眾會亦復寂莫無聲。皆含妙氣。

この時に摩訶迦葉は歡喜の喜びで、お釈迦様に三拝し、この様に話ました。世尊様、此の法門に出会うのは甚だしく難しく、誠に直道であり、妙道です。私はその昔に佛に出会い、出家修行したのは、生死が嫌で。ただ涅槃をもとめての修行は、何にもならない事でした。この法門を求め知らずに、空理の難行苦行を多年に渡り苦労して阿羅漢果を得ましたが、この法を思いつくのは誠に難しい事です。今、如來様は最上妙法を、一瞬にして授けて下さいました。年功の難んや妙易を超えて私に佛になる様にと言われました。『唯那事。非年非劫。非難妙易。令我成佛』。この事を無劫数の果の今にて、三十二相、八十種好、紫磨金色の身体になり 絶妙な悟りのに成り、法身を確かに知り、心は佛で有り、三世諸佛と一に成った妙体である事が解りました。【妙覺成佛。實知法身。是心是佛。三世諸佛。一軀妙體】 今までの間、多年に渡り難行苦行した苦労は無功で、この多年の中で空を求めた、のは無意味でした。これらは皆化法であり実法では有りません。今、本当の空法その空性と不空性には独自性は無く欠ける事もない、まさに真円の様な相を正しく見せ戴き一切の衆生はこの法門によってだけ、佛に成りえることが解りました。世尊は、摩訶迦葉の言葉の通りで有り、汝の說く様に、汝も未來において佛に成ります。これは私が今、示した法門です。世尊が言い終えた後に席より、起ちあがって本座に戻り坐り無語無動。大集会また静寂無言で,大集会の精神と気分が大きく沸き上がりました。

爾時大梵天王白佛言。世尊善哉。世尊能快之。世尊滅度。後世眾生。云何入得。云何修行。願為我入入得修行精密法要。佛告大梵天王。天王諦聽。善思念之。眾生機根。種種無量。或聽理入。或禪定入。或因緣入。或持示入。不一般也。『天王唯有信心。能入是最上道』。云何起信不依心性。他不成佛。所以者何。於心性外。無成佛路。如是了知。真實求者。能人是道。智慧如舍利弗。多聞如阿難陀。辨才如布婁那。解空如須菩提。持戒如優婆利。神通如目徤連。天眼如阿那律。如是此輩。皆不成佛。所以者何。此輩皆得心性假用。未得心性真實體故。唯證性體。必滅佛道。如是了知。真實求者。能入是道。天王或有知見心性妙實體者。『知見之時。即體妙理。無放無離。行住坐臥。心身融一。見聞覺知。根性融一。如是修行。即行佛道。在家菩薩。出家菩薩。非異非別。唯以融一箇之道。我於即時。成佛道已。世間出世。修行無咎』。

その時に大梵天王は、世尊様のお話は実に素晴らしく、理解しやすく、涅槃に行かれた後も衆生は如何に修行するべきかを、私の願いを叶えて事細かく説かれてました。私は今のことを、しっかりと受け止めて修行道を歩みます。お釈迦様は大梵天王に言葉をかけ、天王は善く思居ながらにして說くことを確りと聴いてました。衆生の性質は数えることが出来ない千差万別で、理論で、禪定に入り、因緣より入り、持ち味より入り、聞くことは同じではない。天王は只信心だけに依り最も優れた聞き方です『天王唯有信心。能入是最上道』。深く信仰しても、心性に依らなければ佛には成りません。心性に依らない者たちには、成佛の路はない事をよく知りなさい。そして、真実を求める人は私の説く道を歩んで下さい。智慧の舍利子、多聞の阿難陀、弁才の布婁那、解空の須菩提、持戒の優婆利、神通の目徤連、天眼の阿那律達は皆佛には成る事は無い。この人達は皆、心性を誤用して未に心性の真の実在の【知見:Seeing Knowing】に達して無いからです。ただ証拠だけでは、佛の道は必ずや途絶えます。真実を探究する方々は、よくこの事を知って、この道に入って下さい。天王や知見で心性妙を実在体験した人は、絶妙な真理からいつも離れることなく、行住坐臥でも心身が一体化で見聞覺知をして根本と心性が一に成ります。これが修行で有り、仏道の行です。『知見之時。即體妙理。無放無離。行住坐臥。心身融一。見聞覺知。根性融一。如是修行。即行佛道。』在家菩薩も出家菩薩も違いはない、只この道を進む事が成佛の道で、世の中の迷いの罪悪感から離れて修行できます。

爾時大梵天王。問迦葉言。世尊往昔。種種教。其教理之。今日仁者。從佛所受心。云何有所差別。語梵王言。仁者莫問如是。此事若有世尊已前所教理。差於今日所受心者。彼諸教者。即是邪。若有世尊今日所受心。差於已前所教理。是此心者。『即是心。一切教之。此一心理。無有毛端所差別所』。若有學人。謂諸教理與此心理有所差別。是即外道天魔所。非唯不知諸大乘經所之理。亦不知我受一心理。若知心理。應知教理一理無差。但有所差諸教理者。以雖有益非真。今此知見教。唯是實無二。雖設有他教。其益皆小分。不謂他無益分。性一端。如星光日為。

この時に大梵天王は迦葉に聞ました。世尊はその昔より様々な教えを説きその教理と今、貴方は佛より受心した教えの違いはあるのですか。これらの事は世尊が前よりの教えで、今の説法で違いがある教えであると、教える先生方は邪說の教えです。この教えは心で理解している方は、一切の教は【一心】の真理で全くの違いが無いと分かります。『即是心。一切教之。此一心理。無有毛端所差別所』。學人で諸教理上で心の真理に違いがある説を【教え説くのは外道天魔の教え】で、諸大乘經の所理には無いです。私はその様な違いの教えの【一心】の真理を知りません。只私の知ってる心理(法随観)の教理には、真理の違いがない事です。しかし幾つかの教義の上で差が在り、諸々のその教えは有益ではないです。この【知見】の教は正法で、他の教えは、少しの益でしか無いです。その教えは星の小さい光の様です。

 

分光為星光  不謂星無光  小端如無益
 【四諦十二緣  五戒及十善  念佛往淨土】苦集滅道と 無明、行、識、名色、六処、触、受、愛、取、有、生、老死の十二因縁を知り五戒及十善を実行して 浄土の佛を何時も心に思えば浄土に生まれます。 
 具戒及坐禪  權大諸菩薩  皆是彼端小
 此教如日光  他教如星光  眾星雖
 不謂之白晝  日光出現時  夜明天成晝
 他教雖有世  不謂佛法者  眾生正諸佛
 穢土是淨土  生死自涅槃  三世永一世
【世法即佛法  有為實無為  如是知見教】世法[俗諦]と佛法[真諦]は一体円融の不思議で 有る事と無い事は同じ 知見の教え(法随観・Dammanupassana: Seeing Knowing Vipassana、観禅)で 心に映ります。
 及其修行者  謂之佛法有  又謂我世有
 佛是語時  眾有百千人  皆了無上道

言教令悟心性理。令成佛道傳心理者。以心傳之。得心性理。令成佛道教者。漸入心者。頓入心者。遲速不同。理則一同。譬如東國人指日輪。謂此日輪從我東天往彼西天。西國人。亦指日輪。謂此日輪從彼東天來我西天等。雖異彼此往來之言。不差謂日。日輪之言。與語日東西理者不差。如來教示亦復如是。教傳心傳。示相不同。於理一同。

自分の心の仕組みを学び、佛道を伝える心理(法随観禅)者に成り、この心を伝える心性の理を得て、佛道の教者に成りなさい。徐々に解る人や直ぐに解る人と遲速が有りますが、理は同じです。東國の人が日を指差して、日は東より西に向かいます。西國の人も指差して、日は東より西に来るといいます。同じ日であり、同じく日が動くことであり、日の往來の言葉の違いだけで同じ日であり、理解も同じです。如來の教示も同じく教伝心伝で、相が違っても理は同一です。

白言世尊。此見性道。應唯比丘行此道哉。亦諸在家可普行哉。佛言。天王心性之道。出家在家。天龍鬼神。皆悉具足。何可限之比丘耳。唯有在家出家行相。於相異非一。其出家行。

この見性道も、比丘の道も又諸在家の道も同じなのですか。お釈迦様は、天王心性の道、出家在家、天龍鬼神も皆同じく聞く耳であり、比丘だけに聞ける耳ではない。在家出家の行相は違っても出家行はおなじである、と説かれました。

父母已赦。出父母家。代父母事。三世諸佛無主君故。代事菩薩布佛形家。如生身佛。有佛舍利。如在世佛。出世俗故。不禮國王。不敬天仙。不求財寶。但持一鉢。不畜衣服但持三衣。安住深山。樹下岩洞。清意淨身。身明了覺知自己本佛陀。方佛身一躬法。

父母は、父母の家事を求めずに出家を許しました。三世の諸佛も主君は無い代わりに菩薩として布佛し、生身の佛として佛舍利を持ち、この世で佛の様に世俗を離れて國王でも無く、天仙でも無く、財寶を求めずに、只一鉢と三衣を持って安住深山で樹下岩洞で清意淨身して、己の身は本来佛陀である事を明了に覺知して、自己と佛身は一体の法門に進みなさい。

月輪品第三

爾時世尊。告迦葉言。摩訶迦葉。七佛所。無有異路。諸佛成道。無有異法。唯以是一知見。明見自己一心形相性理。即成佛耳。若有他法令成佛者。即是天魔波旬邪法。迦葉當知。我座菩提樹下。降魔成等正覺。當於其時。盡見心形。盡見心理。我見心體。如月輪形。諸佛出現。即授印證。令我成佛。我者久遠無量劫中修行成故。現不成佛。雖未即。成佛身已。我今印證此人。即見己身成本佛。是知見佛。我今授記此人來世。是不久當成果滿佛。如今會中摩訶迦葉。雖已知見自法身了。未滿六度劫數成故。未得成佛妙覺法身。雖然如是。『知見自性佛法身體。十方諸佛。一體一躬知成佛故。得佛印證』。事於未來諸佛世尊當得成佛。天王譬如世間月輪。朔弦望晦月不現。雖是月輪。人不言月。朔月一分。以日近故諸人不見。雖俗不信。知者知月。如初發心見性道人。世俗不知。道人知之。三日夕天。現三分光。雖未成輪。世間知月。如見性人。能徹顯德。諸人知之。摩訶迦葉亦復如是。雖今日未實成阿耨多羅三藐三菩提。已受未來當成佛記別。名見性佛。云何道人心圓月輪。有十五分。

この時世尊は、摩訶迦葉の言った事は、七佛の說く所での路の諸佛の成る道で有る法門で、只知見(法随観)に依って明快に自己の心形相性理(心の仕組み作り)が見え、佛耳を持つ事に成ります。他法で成佛する教えは、天魔波旬の邪法である事を迦葉は良く熟知している。私が菩提樹下の座で魔を降して等正覺を成し遂げた時に、総ての心の形体と心理と心体(法随観で観察する心と体の関係項目を観禅での行科目)を完全に見た時に、それが満月の形に成り、諸佛が出現して私が印證を受けて佛に成りました。私が久遠無量劫で修行をしても佛に成れなかったのは、佛になる身では無かった。私が今印證人と成ったのは、己の身が成本佛【毘盧舎那仏・大日如来】である事を知見したからです。今、私が授記した人は來世で、果を滿し佛に成るのも遠くない。摩訶迦葉の如く自己の法身を知見しても、六度(波羅蜜)を数劫全うして妙覺法身を得て、然と佛に成ります。十方諸佛も法身(毘盧遮那仏・大日如来)と己の身体が一つの体である事を知見したから、佛の印證を得たのです。『知見自性佛法身體。十方諸佛。一體一躬知成佛故。得佛印證。』この様に未來諸佛世尊も同じく成佛します。天王(大梵天王)も満月の如くは、世間で見える満月で無い月輪で 人が言う月の事ではない。新月の一分は、日毎の月を見える事が無い人たちは、信じられない人で、月の有る事を知ってる人は、月初めであると心で見る道人です。世間の人はこれを知らず、道人は良く知る。三日月は、三分の光で未だ満月でない、と世間の月の智慧であります。見性人は仙人の德と人々に知られます。摩訶迦葉もこの様で在り、未だに阿耨多羅三藐三菩提に成っていませんが、未來において佛に成る事を知る人は、佛を見た人です。この様に道人は、心で満月の十五分月であると知ります。

布施度者。大慈悲用。轉慳貪心。饒益自德。利澤眾生。戒律度者。法儀性用。轉邪惡心。堅固自己。保持眾生。堪忍度者。大誠信心用。轉瞋恚心。守護自道。安穩眾生。精進度者。道理性用。轉懈怠心。勤修自己。勸進眾。靜慮度者。大智慧用。轄生放逸心。接取自己。接取眾生。智慧度者。智藝性功。轉愚痴心。明徹自己。明徹眾生。方便度者。仁者智性功。轉礙礙心。易修自道。易修自道眾生。誓願度者。仁勇性功。轉發失心。成就自道。成就眾生。任力度者。智勇性功。轉怯弱心。任住自己。任住眾生。知智度者。大覺性功。轉迷惑心。悟了自己。悟了眾生。所作智者。應化覺德。轉前五識。成佛自己。成佛眾生。妙觀智者。他受覺德。轉第六識。成佛自己。成佛眾生。平等智者。自受覺德。轉我人識。成佛自己。成佛眾生。大圓智者。自性覺德。轉含藏識。成佛自己。成佛眾生。法界智者。法身覺德。轉無明識。成佛自己。成佛眾生。覺轉無明。成法界性。是名如來法界體智。是十五道。元來性具。是名心性。是名佛性。十五圓滿。不一可決。無首無尾。如環無端。但以方便。示始終。凡夫性者。雖有不現。猶如晦月。有輪無覺。初發心者。始見性體。猶如朔月。現一分光。作修行人。智妄供有。猶如弦月半白半黑。聖者性者。智見修滿。猶如望月圓輪滿光。即偈曰。

布施波羅蜜者は大慈悲で慳貪心に変えて、自分にも、沢山の人にも利益を与えます。戒律波羅蜜者は法儀を使って、邪惡心を変えて、堅固に自己と衆生にもします。堪忍波羅蜜者は、大誠信心を用いて。瞋恚心を変えて、自分の道を守り周りの人も安心します。精進波羅蜜者は道理を用いて、怠け心を変えて、勤勉な自己して、周りの人にも勧めます。靜慮波羅蜜者は大智慧を用いて、命を大切に自分も周りの人にもします。智慧波羅蜜者は智慧と技を巧みにし、愚かな自分と他人をも明解な心にします。方便波羅蜜者は仁徳と智性が増して、自分と他人の礙の心を変えて、修行道を安易にします。誓願波羅蜜者は慈悲と勇敢を増して、自分と他人の失心を変えて成功させます。任力波羅蜜者は智慧と勇気を増して、自分と他人の怯える弱心を変えて強くさせます。知智波羅蜜者は大覺性が増して、自分と他人の迷いの心を悟りに導きます。この様な智者は、五識(色境、声境、香境、味境、触境の識心)を覺德に変えて、自己も衆生も成仏させます。 妙觀智者は覺德を他の人が受ける様に、第六識(眼、耳、鼻、舌、身、意の識)を自己にも衆生にも成佛させます。平等智者は自己が覺德を受けて、我を人識に変えて自己も衆生も成佛させます。大圓智者は性分が覺德なので、藏識(阿賴耶識は如來藏、第八識、楞伽經より)を含み自己も衆生も成佛させます。法界智者は覺德法身なので、無明識(無明、梵語: Avidyā ,巴利語: avijjā 、煩惱のこと)を転じて、自己と衆生を成佛させます。覺も無明に転じて、法界性に成ります。これを如來法界體智と言います。これが十五道で元より皆さんに備わっている心性と言い、佛性の十五圓滿の満月。欠ける事もなく、先も後ろもなく回るように端は無い如くで、方便でこの話を終わります。凡夫性の者は新月の輪を見ることなく無月とし。発菩提心者は新月の一分光と最初からその様に見ます。人は智と妄が供に有る事を知って、修行者は半月の半白半黑の月様です。聖者性の人は智見(Seeing Knowing: 観禅)よく修して、満月の圓輪滿光を望めて下さいと、句を偈しました。

 凡夫未知見  暗如晦月輪  地前諸菩薩 
 光如朔月等  地中大菩薩  明如弦月成
 地上覺菩薩  圓如望月滿  是此月輪者
 是久遠成佛  名無量壽命  決定王如來
 亦名法界宮  常寂光淨土  毗盧遮那佛
 常住此月輪  十方諸如來  俱住於此殿
 非因亦非果  三世常住者  凡夫行人者
 應觀如是理  端坐觀月輪  我身成本來
 毗盧遮那佛  法身遍法界  頂有五佛冠
 坐千葉蓮華  身著瓔珞衣  身色紫磨金
 百福本具足  萬善莊嚴身  一念間知見
 心性形月輪  一念間憶念  我身毗盧理(己の身は毘盧舎那佛の理事と知る人は、真実の
 是人名真實  修念佛行者  為得大功德 念仏修行者で大いなる功と徳を得ます。) 
 東方阿閦佛  南方寶生佛  西方阿彌陀(東は阿閦佛で南は寶生佛、西は阿彌陀で
 北方不空成  如是等無量  恒河沙諸佛 北は不空成、これらの仏は無量恒河沙諸佛。) 
 稱常念名號  恭敬禮供養  經於百千
 是諸功德者  知見之功德  能作比量者
 是諸功德者  不及於見性  須臾之功德
 百分亦千分  百千萬億分  不及於一分
 何況常住體  自性之本佛  應用中於法
 世間與出世  一面而度世  自度亦化他

天王出家菩薩者。

天王は出家者の菩薩です。

爾時世尊。是偈已。告大眾言。已前多空法眾義。是為能破數多煩惱。成清淨心。已成清淨。同佛空心。是名成佛。是斯初位。今心月。十五妙道。入最上道。是未成佛時。能至佛佛位。是斯終位。十五修行。是名諸位因佛。修行十五成就。是名諸佛果成佛道。一切眾生。身行相應是十五道。口意亦爾。一切行行。無惡但善。一切時時。無迷但覺。如是行人。一生即得成聖人身。人天恭敬。龍鬼供養。十方遊行。無有障礙。無有怨敵。一切安樂。一切無為。

そして世尊は偈を説いて、大衆に話しました。私は前に沢山の正しい空法を説明しました。是は数多くの煩悩を破り、心が清淨に成り、已も清淨に成ります。これが佛の空心で成佛と言います。最初は、今の心月の話で、十五妙道から入る最上の道です。未に佛でない時に、佛位に至る佛の道の最終点です。この最終位が十五修行で、総ての佛が修行十五道を成就して、総ての佛の果の成佛道です。一切の衆生は身行も是の十五道の様にし、口意も同じくする様に【身口意】。全ての行動には無惡で、ただ善。何時も迷わずに、ただ覺。是が行人で、この人生で聖人身に成り。人も天も行人を敬い、龍も鬼も供養してくださいます。何処に旅しても、禍が無く怨敵も在りません。全てが安樂平穏です。

法界品第四

爾時大梵天王白佛言世尊。我見法界諸佛無量。眾生無量。萬善無量。萬惡無量。以何法為成是等本。佛告大梵王言。善哉善哉。天王問之。有七法界。成就是等。一者三法身法界。二者五緣因法界。三者四氣法界。四者七大法界。五者三世間法界。六者四順逆法界。七者十界法界。是法界集會。成就一切世間。天王諦聽。云何三法身法界。一者等流。二者智行。三者成佛。云何五因緣。一者法性。二者無明。三者逢著。四者執行。五者後會。云何四氣法界。一者空氣。二者陽氣。三者陰氣。四者生氣。云何七大法界。一者地大。二者水大。三者火大。四者風大。五者空大。六者識大。七者根大。云何三世間法界。一者器界。二者眾生。三者五蘊。云何四順逆法界。一者五德。二者十善。三者四諦。四者六度。云何十界法界。一者地獄。二者非情。三者鬼界。四者畜生。五者人間。六者仙天。七者二乘。八者空界。九者菩薩。十者佛界。云何等流法身法界。普賢菩薩法身法界。其法界理。出生眾生。無始無終。非迷非覺。是名等流法身法界。云何智行法身法界。觀音菩薩智慧法界。其法界理。命具眾生。無始無終。迷變覺成。是名智行法身法界。云何成佛法身法界。毗盧遮那大薄伽梵大覺法界。其法界理。自然具足一切眾生無始無終轉迷開覺。是名成佛法身法界。云何法性因緣法界。普賢法性等流之因。自爾緣於觀音法性智行之緣。觀音法性智行之因。法然緣於毗盧遮那法性之果。是為眾生因緣根之。是妙法性因緣法界。云何無明因緣法界。一切眾生一心之元。是法性理。於其法性妙真理中。依眾生緣。忽然出生一念忘心。是為眾生流轉之元。是名無明因緣法界。云何逢著因緣法界。一切眾生。同法性生。法入同故。自然相逢而作逢著。結生死緣。生生世世。如是結緣。是性為眾生流轉生死。是名逢著法界。云何執行因緣法界。一切眾生相逢著故。於著法中。或生慈愛。或生瞋恨。或作善業。或作惡業。是名為眾生生死業因。是名執行因緣法界。云何後會因緣法界。一切眾生。此生結緣。依此緣故。必得後生。亦會造業。是為眾生生死永劫。是名後會因緣法界。

そして大梵天王は世尊へ、私は全宇宙に沢山の無量の佛を見ました。無量の萬善衆生と萬惡衆生も見ました。どうしてこの様な法が有り、その根本は何でしょうか? 大梵王よ、とても良い質問です。天王の問いはこの七法界の成立ちのこと。一に三法身法界 二に五緣因法界 三 に四氣法界 四に七大法界 五に三世間法界 六に四順逆法界 七に十界法界の集会法界のことで 全ての世界での事。天王よ確りと聞いて下さい。三法身法界とは、一に等流(一流)、二に智行、三に成佛。五因緣とは、一に法性、二に無明、三に逢著(結ばれる縁)、四に執行(生死)、五に後會(出会う)。四氣法界は、一に空氣、二に陽氣、三に陰氣、四に生氣。七大法界とは、一に地大、二に水大、三に火大、四に風大、五に空大、六に識大、七に根大。三世間法界とは、一に器界【機器類、AIだけの世界】 二に衆生【あらゆる生命体】三に五蘊【Theravadaの法随観禅実践より、北伝大乗教義上の五蘊の説明は、巴: pañca-kkhandha (パンチャッカンダ)、梵पञ्च स्कन्ध, pañca-skandha (パンチャ・スカンダ))と、色蘊・受蘊・想蘊・行蘊・識蘊  物質界と精神界との両面にわたる一切の有為法を示すとのWikipediaは中身のない解説で、大変な間違いです。】の生命体。四順逆法界とは、一、五德【一に孝父。二に孝母。三に忠君師。四に助聖者。五に歸三寶。】二、十善、三、四諦、四、六度【六波羅蜜】。十界法界とは、一、地獄、二、非情、三、鬼界、四、畜生、五、人間、六、仙天、七、二乘、八、空界、九、菩薩、十、佛界。等流法身法界とは、普賢菩薩法身法界で其の法界では衆生の生命体が無始無終、非迷非覺の世界で等流法身法界と言います。智行法身法界とは觀音菩薩智慧法界で、衆生の命は無始無終で迷を覺に変えます。これを智行法身法界と言います。成佛法身法界とは、毗盧遮那佛(大日如来)大薄伽梵大覺法界で、自然に全てを兼ね備えて、生命が無始無終で迷を開覺に転換します。これを成佛法身法界と言います。法性因緣法界とは、普賢法性等流の因での緣によって觀音法性智行の緣に成り、觀音法性智行の因が出来て、この法然緣に依って毗盧遮那佛法性の果が出来ます。これの衆生の因緣根の是妙を法性因緣法界と言います。無明因緣法界とは全ての衆生の心の根本で、是の法性に依り法性妙真理で衆生の縁で忽然と出生した時に心が念忘して、輪廻転生の原因で、無明因緣法界と言います。逢著因緣法界とは、性愛の法則に依って重ね重ね会い生と死の絆ができて、人生の後の人生も結ばれる結緣が出来ます。この様に、衆生は性愛に依り生死の輪廻転生を繰り返します。これが逢著法界です。執行因緣法界とは、全ての衆生は逢著に依って会い、この法則に依って慈愛と瞋恨が発生し、又善業と惡業を作ります。この様に、衆生の生死の因業が出来ます。これが執行因緣法界です。後會因緣法界とは、すべての衆生は、この様に、縁が結ばれて この縁により必ず転生して会う事に成り、輪廻転生を限りなく続けます。これが後會因緣法界です。

云何空氣成世法界。無始無終大空之中。無始無終有一妙氣。是如來藏。含諸妙理。能為成就世間之元。是名空氣成世法界。云何陽氣成世法界。空氣變作主生動法。一水北方。三木東方。五土中央。七火南方。九金西方。如是數行。成就世間。是名陽氣成世法界。云何陰氣成世法界。陽氣變化主死寂法。二火南方。四金西方。六水北方。八木東方。十土中央。如是數行。成就世間。是名陰氣成世法界。云何生氣。父氣一月。父母氣成眾生身分。父氣一月。成生腎。母氣於時。成生膀命。母氣二月。能成心絡。父氣於時能成小膻。父氣三月能成肝口。母氣於時。能成膽腦。母氣四月能成肝口。父氣於時能成胃三。父氣五月成就肺口。母氣於時。成就大膜。父氣六月成骨耳。母氣七月盛血父舌。父氣八月成眼母筋。母氣九月成肉唇。父氣十月成皮母鼻。雖成同時。熟有不同。是名生氣成世法界。云何地大堅質法界。眾生支大。骨肉質體。皆是地大。是名身分地大法界。云何水大濕質法界。眾生支體。血液溫體。皆是水大。是名身分水大法界。云何火大溫氣法界。眾生支體。君相溫氣皆是火大。是名身分火大法界。云何風大動搖法界。眾生支體。隨念動搖。皆是風大。是名身分風大法界。云何空大法界。一切眾生臟腑之間。氣血通經。皆是空大。是名身分空大法界。云何識大魂魄法界。眾生心身。眼耳鼻舌身意中有為其處主。知了靈識皆是識大。是名身心識大法界。云何根大明徹法界。眾生身心眼耳鼻舌身意根處皆根大。是名身心根大法界。云何器界世間法界。一切眾生。所住之所。天地境界。是名器界世間法界。云何眾生世間法界。有情非情。迷覺眾類。是名眾生世間法界。『云何五蘊世間法界。一切眾生。身者是色。心者是受想行識也。是名五蘊世間法界』。云何五德順逆法界。其順五者。一者孝父。二者孝母。三者忠君師。四者助聖者。五者歸三寶。其五逆者。一者殺父。二者殺母。三者弑君師。四者殺聖者。五者破三寶。是名五德順逆法界。云何十善順逆法界。其順十者。『一者放生。二者正施。三者節貞。四者誠語。五者正語。六者譽語。七者睦語。八者義捨。九者和慈。十者明慧』。其逆十者。『一者殺生。二者盜。三者邪婬。四者妄語。五者綺語。六者惡口。七者兩舌。八者貪欲。九者瞋恚。十者愚痴』。是名十善順逆法界。

空氣成世法界とは、無始無終の大宇宙の空間で、無始無終の絶妙な心の空間の如來藏で、諸妙理でなっているので、世界を成す元です。これが空氣成世法界です。陽氣成世法界とは、空氣変動作用の法則で一水北方。三木東方。五土中央。七火南方。九金西方の數行【陰陽術の八卦 五行の数行ではありません。仏教は東西南北佛と中央佛で成る数行です。】で成る世界、是が陽氣成世法界です。陰氣成世法界とは、陽氣が衰え消滅する法則で、二火南方。四金西方。六水北方。八木東方。十土中央。で成る數行世界、是が陰氣成世法界です。生氣とは、父母の氣で成る衆生の身分が成る法則で、父氣は一の月で腎臓を作り、母氣はこの時に寿命を作ります。母氣は二の月で心臓が作られ、父氣はこの時に肌を作ります。父氣は三の月で内蔵を作り、母氣はこの時に胆のうを作ります。母氣は四の月で肝臓を作り、父氣はこの時に胃を作ります。父氣は五の月で肺を作り、母氣はこの時に内臓を包む大きな膜作ります。父氣の六の月で骨と耳を作ります。母氣の七の月で血液と父の舌を作ります。父氣の八の月で眼と母の筋を作ります。母氣の九の月で肉と唇を作ります。父氣の十の月で皮と母の鼻を作ります。だいたいこの様に、成るけれども熟生は同じで無い。是を生氣成世法界と言います。地大堅質法界は、衆生を支え、骨肉質体は皆な地大である。是を身分地大法界と言います。水大濕質法界とは、衆生の体を支える、身体格部と血液で身体を溫る事で、是が水大、身分水大法界と言います。火大溫氣法界とは、衆生の身体を暖かくする事で、是が火大です。是を身分火大法界と言います。風大動搖法界とは、衆生の身体が思いのままに動くのは風大(風の元)に依るものである。総てがこの作用です。是が身分風大法界です。空大法界とは、全ての衆生の臟腑の間と氣血が通る作用で、是が空大(空の元)です。是が身分空大法界です。識大魂魄法界とは、衆生の心身の眼耳鼻舌身意の心中に有る主が知了する、靈識です。是が識大(識の元)です。是が身心識大法界です。根大明徹法界とは、衆生の身心眼耳鼻舌身意の根處は皆な根大で、是が身心根大法界です。器界世間法界とは、全ての衆生が住む所で。天界と地の異次元空間界で、是が器界世間法界です。衆生世間法界とは、有情非情の迷覺衆類で、是が衆生世間法界です。五蘊世間法界とは、全ての衆生の身体が色(Rupa)で、心(Nama )が受想行識の完了・三十四善点心(Kusara)、又は不完全な欠・点心(Akusara)の行式です。是が五蘊世間法界です。【云何五蘊世間法界。一切眾生。身者是色。心者是受想行識也。是名五蘊世間法界】。五德順逆法界とは、順の五者は(一、孝父。二、孝母。三、忠君師。四、助聖者。五、歸三寶。)と、其の五の逆者は(一、殺父。二、殺母。三、殺君師。四、殺聖者。五、破三寶。)で、是が五德順逆法界です。十善順逆法界とは、其の順十者が『一、放生。二、正施。三、節貞。四、誠語。五、正語。六、譽語。七、睦語。八、義捨。九、和慈。十、明慧』と、其の逆十者が『一、殺生。二、盜。三、邪婬。四、妄語。五、綺語。六、惡口。七、兩舌。八、貪欲。九、瞋恚。十、愚痴』で、是が十善順逆法界。

云何地獄受苦法界。此大地下。金輪際中。有惡鬼集。在其世界。生諸眾生者。為大鬼。所割食噉食。亦生亦然。金輪際下。有水氷輪。水輪際下。有火炎輪。其水輪際。其火輪際中。諸眾生為氷所凍。為火所燒。晝夜無間受大毒苦。是名地獄受苦法界。云何非情愚毒法法界。愚痴無智。塞心塞念。諸眾類。或為土石。或為。生草木。是名非情極愚法界。云何諸鬼餓鬼貪鬼疫鬼毒鬼夜叉羅毗遮俱槃多等眾類。是名鬼界苦毒法界。云何畜生龍等諸鱗。金翅鳥等一切諸羽。龜螺等甲。獅子虎狼等之諸毛。猩猩等之一切裸虫。是名畜生非正法界。云何人間正善法界。利。婆羅。毗舍。須陀。五戒力及十善力。生得善界。是名人間正善法界。云何天上善樂法界。大十善力。及八禪力。生欲界天及色界天。是名天上善樂法界。云何七大。一地土色身大。二水汁血精大。三火氣靈溫大。四風木動息大。五空金虗氣大。是五大分迷覺二道。二道各分依正二報。迷道依報。成天地世界。迷道正報。成人天有情。覺道依報。十方淨土覺道正報。成諸佛菩薩。六六識大。風木大靈成眼識。水汁大靈成耳識。空金大靈成鼻識。地土大靈成身識。火大一身之主。故分二識。從靈成舌識。主靈成意識。七六根大。風木大氣成眼根。水大氣成耳根。空金大氣成鼻根。地土大氣成身根。火大一身主也。故分二根。從氣成舌根。主氣成意根。云何如來藏地土識根大。無量壽命決定王佛法身等流。成水識根大。不空成就佛法身等流。成火識根大。寶生佛法身等流。成風木識根大。無動佛法身等流。成空金識根大。無量壽佛法身等流。成無始無終無造無為。是名如來藏。

地獄受苦法界とは、この大地の下に金輪が有り、際(金輪と水輪の間)が最下部でその中に惡鬼が集って居る世界に、沢山の衆生が生きています。大鬼たちはこの衆生を割いて食べますが、その同じ衆生達は又直ぐにそこで生まれて、又食べられます。(西洋では太古の昔に巨人が人を、その同じ様に食べる話があります。)金輪際下の下には、水氷輪があり、その際の下に、火炎輪があります【地球の構造は球体が外殻岩石60-80Kmのマグマ上に在り、マグマの下に高圧水が数千Kmが有り、約三百万三十万圧力に水も高熱氷(金属質)に成り、その下に鉄外殻の核反応金属球体の超高熱度の火球体が有ります。】その水輪際と火輪際の衆生は氷で凍り、また火で焼かれる苦しみを昼も夜も無間に大毒の苦を受けます。是が地獄受苦法界です。非情愚毒法法界とは、愚痴や無智、心や思いの閉ざされた、あらゆる種類、或いは土石や生草木の世界で、是が非情極愚法界です。鬼餓・鬼貪・鬼疫・鬼毒・鬼夜叉・羅剎(巴利語: Rakkhasa鬼神)毗遮(食屍、食血肉鬼)・俱槃多(巴利名Kumbhan!d!a幽霊王、人食鬼)などのあらゆる類で、是が鬼界苦毒法界です。畜生龍等諸鱗とは、金翅鳥(ガルーダ鳥)などの一切の羽の類、亀やカタツムリ等の鎧の類甲、獅子虎狼等の獣の類、毛の無い生き物や一切の裸虫などの類で、是が畜生非正法界です。人間正善法界とは、利(刹帝利 Kshatriya )、婆羅(婆罗门 Brahman)、毗舍(庶民)、須陀(奴隷階級)の五戒及十善戒(十善道行・仏説海龍王経)を実行して善界に生まれた人間。是が人間正善法界。天上善樂法界とは、大十善及び八禪を実行して、欲界天及色界天に生まれる。是が天上善樂法界。七大とは、一に地土色身大、二に水汁血精大、三に火氣靈溫大、四に風木動息大、五に空金虗氣大、是の五大は迷覺二道に分かれて迷正の二報になる。迷道の正報で天地世界に成る。迷道の正報で人天有情ができます。覺道の正の二報で、十方淨土正報と諸佛菩薩正報と成る。六に六識大。風木・大靈成眼識、水汁・大靈成耳識、空金・大靈成鼻識、地土・大靈成身識、火・大一身識と主心識で分れて二識に成ります。從靈成舌識。主靈成意識。七に六根大となり、風木大・氣成眼根、水大・氣成耳根、空金大・氣成鼻根、地土大・氣成身根、火大・一身と主心が分れて二根と成り從氣成舌根と主氣成意根。如來藏地土識根大とは、無量壽命決定王佛法身等に依る成水識根大、不空成就佛法身に依って成る火識根大、寶生佛法身に依って成る風木識根大、無動佛法身に依って成る空金識根大、無量壽佛法身に依って成る無始無終無造無為です。是が如來藏。

如何七大成佛。佛言娑婆世界中。有千百億天地。其中有無量世界。其中有無數眾生。有智畜生。行五戒道。死而生於人間界。不受自行。而成庶人。受持修行而成大人。有智人間行十善道。死後必生成人間王。受自行成小國王。受持。不修行。成大國王。是名菩薩初行道者。十信菩薩成鐵輪王。十住菩薩成銅輪王。十行菩薩成銀輪王。十向菩薩成金輪王。初地菩薩成四天王。二地菩薩成忉利王。三地菩薩成夜摩王。四地菩薩成兜率王。五地菩薩成化樂王。六地菩薩。成自在王。七地菩薩成初禪王。八地菩薩成二禪王。九地菩薩成三禪王。十地菩薩成四禪王。等覺菩薩住於院。入中修盡無明。下生人間。而成正覺於。院。是以最初修行故。

七大成佛とは、釈尊の説明で娑婆世界(三千大世界:大宇宙)には千百億(十一兆:現在の天文では約100兆の銀河眼有るので、約十に一つの太陽系に衆生が生息して居る事に成る。)の天地が有り、其には無量の世界が有ります。其には無數の衆生がいて、智へ有る畜生は五戒の道行がある、死のある人間界に生まれ、自分で行をしない人は庶民に成り、修行する人は大人に成ります。智のある人間は十善道をして、死後に必ずに人間にうまれて王に成り、行を成して小國王を受け持ち、不修行で大國王に成る。是が菩薩初行道者で、十信菩薩を成し鐵輪王に、十住菩薩を成し銅輪王に、十行菩薩を成し銀輪王に、十向菩薩を成し金輪王とそれぞれに成ります。初地は菩薩が四天王に成り、二地は菩薩忉利王に成り、三地は菩薩夜摩王に成り、四地は菩薩兜率王に成り、五地は菩薩化樂王に成り、六地は菩薩は自在王に成り、七地は菩薩初禪王に成り、八地は菩薩二禪王に成り、九地は菩薩三禪王に成り、十地は菩薩四禪王に成る。この様な覺菩薩は於院にて、入中において無明を正す為に、人間に生まれて正覺を院内で成して、これを以って最初の修行。

六大品第五

 爾時舍利弗。即從座起。合掌向佛。而作是言。世尊我依如來神力。得大智慧。普知世間及出世間一切諸法上世之時。有轉輪王。布於世間治世正法。而生身心。即是木火土金水成也。如來所異之。而空風火水地所成也。何為是乎佛告舍利弗。汝善如來。問之如是。彼上世時。轉輪聖王。依大梵天大聖王。唯天地成後之法。七佛所。見其未成天地時事而。此法未生眾生。前成大地。未成大地。前成諸天。未成欲天前成陰陽。未成陰陽有大氣。大氣者。是大空之有空。無始無終。茲有大法。亦此大法無始無終。與空同元。當知此法。是即正理。猶為空主。是名法性。名如來藏。依此法故。大空有氣。依此大氣。能作陰陽。依此陰陽。作上天。依上天故。亦作大地。成大地故。生諸眾生。眾生亦依彼法成覺。成大覺者。即名諸佛。是故七佛六大法。所謂空風火水地識。是空者。是即氣興一也。是名金行。成肺主屬。風者氣動。是名木行。成肝主屬。地者土成。名土行。成脾主屬。火者火行。成心主屬。水者水行。成腎主屬。何故不謂金。謂空大。謂金行。則唯限實體。不通空處。謂空則通空兼實故。何故不謂木。謂風大。謂木行。則唯限體支。不通用動。謂風則通用兼體故。何故不謂上。謂地大。地者土成。成以成大。依大成故。何故不謂五形。而謂為六大也。謂五行則成天地後。唯當人間不當未成。謂六大者。天地前後皆攝謂之。何以故。聖者轉輪大王。唯謂天地。不謂天外。轉輪聖王唯治人倫。不治外故。諸佛如來知十界人業因報果。此業力成天地眾生。乃至成佛。謂始中終。故不同。白佛言。世尊如佛所轉輪聖王。誤惑言耶。佛言不爾。轉輪聖王。依梵天。但治世間。上者登天。中者化仙。下者治人。不出世。是故天地外法。三世諸佛導世出世。上者成佛。次成菩薩。次成緣覺。次成聲聞。能出世間。能成聖位。中者登天。次登神仙。次治人聞。能治世間。能成王法。下者於諸畜生界。次餓鬼。次地獄。能離苦界。能生善道。是故能天前天後因果正法。白佛言。世尊大梵天王。長壽久存。七佛所。面正聞之。云何不也。佛言善哉。如汝所問。雖然如是。七佛所。久而斷滅。不傳人間。劫初輪王出世之時。大梵天王雖知此法。未成妙覺故。不盡知其因果法。能待後佛出世時而不也。過去諸佛現在我佛未來一切佛時。如是我法東漸東方諸國。次第流布。其諸國法亦復如是。白佛言。世尊云何空。佛言。空主肺臟。及主身分。六腑六臟氣血通道。九穴毛孔皆是空大。白佛言。世尊云何風。佛言。風主肝臟及主心身支大動作。皆是風大。白佛言。世尊云何火。佛言。火主心臟及主身溫皆是火大。白佛言。世尊云何水。佛言。水主腎臟主腎精心身支大。血膩津液。皆是水大。白佛言。世尊云何地。佛言。地主脾臟及骨肉堅體。皆是地大。白佛言。世尊六大法者。持何道有。又有修行哉。佛言。六大皆如來藏。合於本元。如來藏之。正善覺聖。是名修行。是修行者。皆成佛道。背是修行。恣妄亂行。如是眾生。皆隨生死。生生世世流轉受苦。無有盡期。如車輪迴。識可悲愍。

 この時に舍利子は席より立ち,佛に合掌して質問をました。私は如來の神力に依って、大智慧を得て、世間及び出世間の一切諸法上の世で、知られている轉輪王の世間の治世が正法の時に衆生の身心は、木火土金水で成る事と如來の說では異なり、空風火水地より成るとは何故でしょうか。舍利よ、汝の善き如來の説く事の問は、その時の轉輪聖王の世で、大梵天大聖王の說です。七佛說は天地が成って後の法で、其の法は未成天地時の事の說である。此法は衆生が生れず、大地が出来る前の未成の大地と未成の諸天で、欲天が出来る前の陰陽の大氣が出来る前の大氣で、是の大空の空は無始無終の大法により、大法も又無始無終です。空は元より同じと、この法を知ることが正理で、空主に依るものである。是が法性で、如來藏です。此の法に依って、大空の氣が有り、此の大氣に依って、陰陽が作られます。陰陽に依って上天(大気圏)が作られて、又上天に依って大地が作られ大地を成すので諸衆生がが生まれて、衆生が此の法に依って覺成します。是で大覺者が出て来て、諸佛に成り是に依って七佛說の六大法と成る。故に空風火水地識なり、是が空の元気なり。是が金行で肺の主です。風の氣の動を木行と言い、肝臓の主です。地の土が成るのは土行で脾臓の主です。火の火行は心の主です。水の水行は腎臓の主です。なぜ不調金かは空大の金行の元気の不通空で身体に制限されるからで、空則通空が実態です。なぜ不調木かは風大の木行の気が身体の部分に制限されて、不通用動に成り、この風則通用体に成るからです。何故に不調かは上記に述べた通りです。地大で地が土に成りこれで成大が出来て、大成に依る五形で無く、為に六大です。五行(地水火風空)は天地が成る後の法則です。それに人間も未だ居なく、六大が天地前後の総てで、是による聖者轉輪大王は天地だけで天国は未だ無い。轉輪聖王は、人倫だけで治める事は無い。諸佛如來知十界人業因報果の業力で天地の衆生が存在して成佛に至ります。始中終が不同の說は此の為です。それでは、世尊如佛の說を轉輪聖王が誤解しての言語ですか。そうではなく轉輪聖王が梵天の說に依って、世界を治めて、上は登天させ、中は仙人にし、下は人を治めて、佛の出世の無い説なので、是が不天地外法です。三世諸佛導く佛が出現した世界は、上が佛、菩薩、緣覺、聲聞が能く世間に出現して、また聖位も出現します。中は天に上り、神仙に成り、そして人聞や世間を能く治める、王法者に成る。下は諸畜生界、餓鬼、地獄より出でて苦界から離れ、善道に生れます。是が天前天後因果正法の說く所です。それでは世尊、大梵天王は長壽久遠の方なので、七佛所を直接に佛より正聞し、七佛說を説かないのは何故でしょうか。汝の質問はとても良く、当然のことです。七佛の所は久しく斷滅して人間には不傳で、劫の初めに輪王が世に出た時は大梵天王が未だ妙覺を得てないので、其因果法知る事が出来なく不說で、佛が出て世にこれを說いたからです。過去諸佛現在我佛未來一切佛も同じく説きます。是の法は東に段々と東方諸國に伝わり、其の諸國の法も又この様になります。それでは、世尊が說く空とは如何に? それは空主が肺臟でまた身分の主で在り、六腑六臟氣血通道で、九穴毛孔皆是が空大である。それはでは、世尊の言われる風とは? 風主が肝臟及び心身支の主で大動を作り、皆是が風大です。それでは、世尊の說かれる火とは? 火主が心臟及び身溫の主で皆是が火大です。それでは、世尊の說かれる水とは?。水主が腎臟及び腎精と心身の部分の主で、又血と体液の主です。皆是が水大です。それはでは、世尊の說かれる地とは?。地主が脾臟及び骨肉堅體の主です。皆是が地大です。  それでは、世尊の六大法は何を持っての道で、又修行はいかに? 六大皆如來藏で合体して根本で、如來藏の正善覺聖です。是が修行で、修行者が皆な成佛の道です。反する修行は無謀な行動で、衆生はこの様に生きて皆生死に従い、生まれ生まれて、世と世を流れ流れて苦の人生が尽きることが無く、車輪が延々と止まることなく回る悲しみを知る輪廻転生です。

白佛言。世尊云何識。識主魂魄。及主命門。一切精氣。皆是識大。爾時舍利弗。白佛言。世尊有情氣。盡已命終時。地水火風空。皆散盡有何身分。向其中有。亦向後生。佛告舍利弗言。如汝所問。眾生身分依果報限。以天命生。受父母氣成身分故。果報盡時。天命限時。至死期。而地水火風空。大散滅。雖五大滅。識大不滅。何以故。識者不依果報有故。不命生故。不氣受故。無始無終。如來藏故。識以性理。地水火風空大為身。空體以冥質存。俱依善惡業因成生。今生業。如其依。業位。捨此地水火風空大。而亦受彼地水火風空大。亦生生時。以濕胎卵化生隨其界。而受相應生。隨其果報。生六道中。是名流轉三世。諸位悲此境界。出人間界。廣是理。能令眾生歸於六大如來藏理。日日六大。時時六大。不捨不忘如來藏理。能合是理。是名六大法身修行。

それでは、世尊の說れる識とは? 識主が魂及び命門の主で、一切の精氣が皆な是れ識大。 それは世尊、情氣が已の命が終る時に、地水火風空が皆散り去り、身分の中有(中陰身)と 後の生は? 汝の質問は、衆生の身分が果報に限れるので、天命を受けて生れ、父母の氣成身分の為に、果報が尽きた時に、天命が限り死期に至り、地水火風空が大散滅して五大滅します。識大は不滅なので、識の果報有に依らないので、不命生為に、不氣受と成り、無始無終の如來藏の識の性理により、地水火風空大の身の空體の冥質(霊魂)が存在して、善惡業因を俱に、依って生まれます。今の生業は其に依る業位で、此の地水火風空大を捨て、亦た彼の地水火風空大を受けて、亦た生をうけて、生れる時に其の業位で濕胎生、卵化生とそれぞれの界に相應して生れます。隨其の果報に依る、生六道中で是が流轉三世する諸位悲しい世界です。人間界より出世の広く說のは是の理からで、能く衆生は六大如來藏理に帰依して、日日六大、時時六大と如來藏理を不捨、不忘して、能く是の理を体感するのが六大法身修行です。

皆さんも頑張って、読んでみて下さい。

水源合掌  二千二十二年十月三日 の太平洋の浜辺にて

水源禅師のご法話

Sep 16, 2022

Ecuador 2022.09

Image 1 of 5

皆さんお元気でしょうか?

今だにサリナースの改築工事で海辺での生活です。それで日曜日に町の中の中央市場に出かけて、新鮮な食物や日用品を仕入れて楽しく買い物の生活です。約七、八キロのバス代片道二十円で、遊覧旅行気分で活気溢れる市場町の雑踏の気分は映画の中で行動しているような夢の空間で、食品も品物もとても安価なので気楽に買い物をしています。この様な別世界で気楽に過ごして、朝と夕方の瞑想も不思議な時空を過ごします。早くも九月半ばに成り、世界の状況も烈しく動揺し始めて 新しい経済体制が始まる方向に向かい旧紙幣体制の崩壊が始まりました。この時期に不思議と大梵天王問佛決疑經に出会いお釈迦様のお話によれば、正法八百年 像法千二百年 末法五千五百年の後五百年に(今の時)このお経と仏像を祭れば 悪化する事態が避けられる様なので、世界のヘソと言われる大地と大洋の間の宿舎の庭に Samadhi Buddhaと大陸男神、大海女神を祭る工事を始めることにしました。それで大梵天王問佛決疑經のお釈迦様のお話を 世界平和を期して 祈りをこめて私なりに解説したいとおもいます。

そもそもこのお経は宋時代になって、インドからの経典を漢文訳にしたようです。それに現在Sri Lanakaのオーロラ寺院で同じお経を三百年保管されているとのことです。多分チベット蔵経典、インドの万体に及ぶ石経典と中国の雲居寺の万体石経典(私が存在確認)と マンダレイーの石経典と仏教大学の図書館(ミヤンマー)にも同じく保管されていると思います。何故ならお釈迦様が涅槃に入る前に天界と、地上と、海洋と地下の衆生済度の為に靈鷲山で説法された、実に素晴らしい大宇宙の法の華の教えだからです。経典の大日発の国が気になり、伝説の山海経を見聞しましたら十干は山海経の十太陽の伝説の干支で、六十干支(ろくじっかんし)は五行と十干(じっかん)と十二支(じゅうにし)の組み合わせで十二支の源流は 太古の六千年前Sumerian文明の6と10の数を使うのが始まりで、現在でも一分間60秒、12時間、360度Indus文明も深くその影響を受けています。太古のエジプト文明、ギリシャ文明も十二支星座で六+六=十二で六と十の文明の流れです。殷商代(三千前)に甲骨文字で1046BC商王朝が南北アメリカ大陸に探索隊を送り

Albuquerque 公園、カルフォルニア州の石に甲骨文字で商王朝隊が書き記している、【私達は二十三代商大王の命令で十年にわたる探索活動を終えて、日の本の国へ帰する事を記す。】学者のJohn A Ruskamp氏が発表されました。又 甲骨文字はNew Mexico, Arizona, Oklahpma, Ontario (私の湖のお寺の近く)、Guatemalaにもあると言ってます。Guatemalanの巨石人頭を作って消えたToltecの顔は、カンボジアのアンコールトムと同じ顔で アンコールワットの広大な寺院建築配置は一万二千年前のドラコ星座位置、エジプトのスフインクスも同じく一万二千年前のタウラス星座の位置と発表されました。今でも日東流の姓名で(津軽)と発音して弘前地方に住んでいます。日の本の国より東に流れ着くと解釈せざるを得ません。何故なら日東流三部記に晋(紀元前11世紀 – 紀元前376年)が荒れたときに亡命してきたとあり、外三部記には大洋を越えて交易したとあり、エクアドルの此処のサリーナスの地方のボルドビアのビーナスは青森の丸内三内丸山遺跡の埴は同じということで、青森より調査に来たと聞いています。この家より車で二時間のところに、Jiipangの名前の町が有り、英語発音ではマルコポーロが探し求めた国のジパングになります。山の家のビルカバンバの町には Japan(ハポン、スペイン発音)姓名家族が二十軒もあり、言葉はインカ語のケチュア語使い先祖は日本から来ましたと言って、私にはモーコ斑点がありますとも言ってました。クスコ、ペルーの巨石の石の切り方は、沖縄の与那国島の海底遺跡の巨石の石の切り方は同じである事が発表されました。隣国のコロンビアのサント アントニオの太古の石像は シバ神であると考古学者が発表しました。またその国のカソリックの枢機卿司教である友人アレックスが太古のインカのマスターと住民が、突如として全てを置いて 三千年前に消え去ったと話してくれました。太古の世界地図の山海経には南北アメリカ大陸、アフリカ大陸、ヨーロッパがあり、殷商の墓にはアフリカの人骨50体アメリカ大陸56体、ヨーロッパ2体、南アジア中近東103体とDNAで国の考古学会で確認しています。津軽三部記の古文書が日本史にとても重要性を持つことになると思います。商王朝では白狐の伝説、日本ではお稲荷さんと祀られています。不思議ですね!

南極の氷の下には巨大な太古の構築物があり、今でも人が入ると自動的に明るくなり広大な硬い石の壁に、三十センチ四方のマヤ文字が五センチ深く刻まれているとのことです。米軍の科学者は、長期にわたって太古の工学を調査してるそうで、二千十六年のアメリカ大統領選挙の投票日直前に ジョン ケリー国務長官は南極大陸に向かい、三十五年間は一般の人の上陸禁止国際条約を作りました。私達は学校教育で確りと俗諦で教えられているので、真諦で物事を見ることは偽物と解釈されます。又は正しく言えば、陰謀論で封じ込められてしまいます。私達は暗黒の覆いで人生を儚く騙されて、それが楽しい人生だと魔に踊り回されているのですね。

現在のビッグバン宇宙説はJames Webb 宇宙天体望遠鏡で 崩れ去り、宇宙が発生する初期には地球の銀河系の十倍の完成された銀河があり外大宇宙の存在も確認されて、お釈迦様は宇宙は無始無終であり、不可思議解脱の五次元の世界であるといわれ、私もVipasanaで確認しました。Pa Oak Sayadoの根本の教えは Seeing Knowing知見で、お釈迦様が涅槃に入る前に このお経の説法で知見を力説しています。俗世間の俗諦は無益、真諦で物事を見なさいと二千六百年前に教えています。ドイツの最先端の天文学者は50年懸命に研究しましたが無駄な一生になりましたと言っていました。龍樹菩薩様は俗諦より、真諦に入るといわれ、この佛說大梵天王問佛決疑經のお経も編纂されたようです。内容は禅の深い教えが解かれており、密教、Theravada, 大乗仏教の核心が私の修行の体験したことよりも詳しく説かれています。皆さんも是非ともコピーして、手元においてください。

大梵天王問佛決疑經のサイト

https://tripitaka.cbeta.org/ja/X01n0027_001

大梵天王問佛決疑經(宋代)

序品第一

如是我聞。一時佛在大靈鷲山。與大比丘八萬人俱。尊者□。尊者舍利弗。尊者摩訶目連。尊者摩訶迦葉。而為上首。與菩薩眾八萬人俱。觀世音菩薩。阿逸陀菩薩。行願普賢菩薩。文殊師利菩薩。而為上首。諸大梵王。釋提桓因。毗沙門王。大持國王。無量天眾俱。海龍王。夜叉王。阿修羅王。無量神眾俱。阿闍世王。波斯耨王。宰官波羅門。無量人眾俱。達多地獄。焰口餓鬼。金色師子。六牙象王。無量非人俱。各禮佛足。退坐一面。

靈鷲山で説法する時に、上記の名だたる貴い方々がお釈迦様に三拝して座りました。

[上記の諸々の高貴尊を現代語で説明するのは、膨大な量となり、科学的な検証することは現在の学問では不可能なことなので、控えます。この後もポイントだけ、訳します。]

 爾時世尊。從多寶佛入塔下。大眾圍繞。飛行東方百千里程。有一國土。名大七寶震旦。其國中央。有一高山。名五寶臺。文殊師利。常在法。至於此山。告大眾言。昔於此國。觀世音菩薩。化作三禪初梵王。化人間故。沒梵殿宮。下生王宮。大德龍身。示天理五行氣變作吉凶法。地沒還天。作春天主。觀世音菩薩。化作初禪二大梵王。化人間故。沒天宮殿。下生王宮德牛火頭。示地利百薬醫毒助人間氣。地沒還天。作夏天主。觀世音菩薩。化作帝釋。化人間故。沒天宮。下生王宮。土德人質。示人倫心法大道身法五倫。地沒還天。作土用主。是三王者成強三才。人性德。依法。示第一義。皆是觀音大悲應化故。此國觀音有緣。末法世中。我法流布。餘佛緣滅。唯存觀音。化益永世。是語已。三王出現。頂禮佛足。而白佛言。世尊如今佛如是。

この時にお釈迦様は多寶佛に従い塔に入り、また大集合団もそれに続きました。これより飛行東に数千数百Kmに大七寶震旦国があり、その中央に五寶臺という高い山が有り、そこで文殊菩薩様が説法して居ります。:その昔にこの国において、観音菩薩様が三禅の初めにブラマ王を人間に変化させて殿宮に住まわせ、大德龍身で天界の理法によって地水火風空を使い吉凶創造して死後天界に戻り春を創造する主に成りました。その後に観音菩薩様が初めの禅定で次のブラマ王を人間変化させて德牛火頭身を宮殿住まわせ、地を利用して百薬醫毒で人間の病気を癒しました。死後天界に戻り夏を創造する主に成りました。この後に帝釋天を人間に変化させて宮殿に住まわせて、土地が人身に良き働きをするように、そして心と身体が健康になる方法を教えて死後天界に戻り良き大地を作る主に成りました。三王の優れた才能で、徳性(波羅蜜)の道を民に教える事が観音様の大慈悲の表れであります。この国は末法の世で仏法を広めて仏縁を繋ぎ、観音様のお力で末永く民が恩恵を受ける為に三王出現させました、とお釈迦様がお話しました。

 爾時世尊。從座而起。為三王及大眾等。亦行東方萬里海上。海中有國。名大日發。東西南北。海中有國。是眷屬國。世尊至於此國海邊。告大眾言。往昔劫初。觀世音菩薩。化作色界第十梵王。告初梵王。汝下空中。欲界天界。及下造地造。觀世音菩薩。化初梵王。奉其四禪大梵王。勅王及妃。供下下空中。次第造天下。造大地。最後造斯國。及眷屬海中國山河草木。有一天女。名妙辨財。是亦觀世音菩薩無量劫來以女像。作大福田。來為王女。即成日輪及月光輪。主四天下。眷屬無量。住此國中。或主或伴。是故其國觀音有緣。末法世中。我法流布。餘佛緣滅。唯存觀音。化益永世。是語已。天女出現。頂禮佛足。而白佛言。世尊如今佛如是。

お釈迦様は三王と民衆の為に、東にある遠い数千㎞離れた場所の海に囲まれた大日發国とその支配国の海辺で、大民衆に観音様(観世音菩薩)のお話をしました。〖昔々の久遠の時に観音は,色天界で十の大ブラマ王達を創造して 最初の大ブラマ王に欲界天界と地上をを創造させました。その最初の大梵天(ブラマ)王に四名の禪大梵王を授け、其々に妃を授けて次々と天界の下に天界と造り、そしてまた欲界天の下に大地を造り、最後にこの国と家臣国を造りそこに、山河草木の園をも造りました。其処には妙辨財天女が居ましてその姿は、観音(觀世音)菩薩の女の姿で無量劫來変わりません。妙辨財天女は民主に副をもたらす為に、日と月の光り輝く四天下の姫様と国中に住む殿達やその家臣達崇められて、その数知らず。その為にこの国はとても観音と縁が有り、末法悪世でも私の法を広めるので仏縁が滅失しないのです。只々観音に依存すれば、末永く副益が続きます。〗とお釈迦様のお話が終えた時に、天女が現れて礼拝しました。

爾時世尊。從座而起。為天女及諸大眾等。亦行東方。於其海中。有諸國土。此國眾生。質近畜生。雖我正法漸漸流布。難有悟入。但作結緣。為成佛緣。

この様に、お釈迦様は天女と沢山の衆生済度の為に海に囲まれた東にある国に向かい、気質が只々働くのみの民衆に、正法を伝える難しい事を成して、仏縁を作りました。

 爾時世尊。為諸大眾。還至本處靈鷲山頂。敷座而坐。告諸大眾。我不久當般涅槃。諸大眾意有欲問法。自恣為問。時諸大眾。默然而坐。一切無聲。

そして靈鷲山頂(ラジギール、インド)の竹林精舎に戻り、自分の座に座って 大集会の方々に向かって、私はもう直ぐに涅槃へ入るので皆さん何かお話し 又は質問がありますか? 座っている方々は 一切無言のまま。

爾時世尊。非現神而示妙相。『成就妙大方廣佛心真如蓮華』。成就五百□□劫光前受用法身。成就佛佛能盡究竟諸法實相。成就華嚴阿含方等般若一實及多寶佛。『成法妙法蓮華證明真如大願』。成就過去無量劫前入滅不滅。成就寶塔。是法界塔。常寂光土。成就分座。是即理智自他法身。如是成就二躬世尊牟尼如來。面座靈鷲華藏世界。多寶如來。已還寶成就寂光世界二土融通。成就一土。是即開見凡夫心中。元有佛心。凡夫成佛。至大妙法。是即欲以此妙法藏。而付後師摩訶迦葉。所由相也。爾時世尊不起法華妙道法座。

お釈迦様の様子は、将に荘厳な大神、全ての佛の心の蓮、五百⦅無・量⦆劫よりの光の法身、佛だけが持つ無上の全ての法の姿、華嚴阿含方等般若及多寶佛の姿、妙法蓮華證明真如大願を成し遂げた姿、 過去無量劫前に生死超えた姿、達成寶塔と法界塔と常寂光土と仏の座と理智自他法身の姿、世尊牟尼と如來の一体化、靈鷲華藏の世界と 多寶如來の寂光世界と釈迦如来の世界が共通世界の相が人々の心に現れて、人は元々佛心があるので佛になる欲以此妙法藏と言う大妙法を摩訶迦葉伝える理由なりと、世尊は法華妙道法座に座らて居りました。

拈華品第二

 爾時娑婆世界主大梵王。名曰方廣。『以三千大千世界成就之根。妙法蓮金光明大婆羅華』。捧之上佛。退以作禮。而白佛言。世尊今佛。已成正覺五十年來種法。種種教示。化度一切機類眾生。若有未上大法。為我及末世行菩薩人。欲行佛道凡夫眾生。布演宣。作是言已。捨身成座。莊嚴天衣。令坐如來。

この時に娑婆世界主大梵王方廣が莊嚴天衣をまとい、三千大千世界成就之源の妙法蓮金光明大婆羅華を捧げて礼をして、世尊は佛になり正覺五十年來一切機類衆生に様々な法と教をされてました。未だに説かれて無い最上の大法を、我及末世行菩薩人と欲行佛道凡夫衆生に宜しく說かれて頂きたいと言いました。お釈迦様は、それでは座ってくださいと言いました。

爾時如來。坐此寶座。受此蓮華。『無無言。但拈蓮華』。入大會中。八萬四千人天時大眾。皆止默然。於時長老摩訶迦葉。見佛拈華示眾佛事。即今廓然。『破顏微笑』。佛即告言是也。『我有正法眼藏涅槃妙心。實相無相微妙法門。不立文字。教外別傳。總持任持。凡夫成佛。第一義諦。今方付屬摩訶迦葉』。言已默然。爾時尊者摩訶迦葉。即從座起。頂禮佛足。而白佛言。世尊妙哉。我念過去無量劫事。於燃燈佛。布法處。發菩提心。從佛修行。亦復世尊布法。於法中。得漏盡智。成阿羅漢。亦復聞諸法實相。入菩薩道。不動先果成大乘道。得近如來一切種智。如是妙智。從何處來。『皆從凡夫久遠心來。其久遠心。等諸佛心。是為法身。是名成佛。得見是心』。非在言教理誨理解文字之中。但在以心示中。不假三昧。不期感果。因緣熟時。凡夫即見是故佛道。傳於凡夫人中不。若無此法。『唯有感果賢聖得道』。而無凡夫比丘比丘尼優婆塞優婆夷得佛道者。若然於末法濁惡世中。證果人者。千萬人中。無有一人無證果故。佛道傳。唯有名字。無有道象。『有此法故。傳佛道象。不結於末世』。佛言善哉。摩訶迦葉。如汝所言。『七佛世尊。授法象然』。七佛弟子。傳法象爾。我滅度後。以大法藏。今付於汝。能持傳傳弘通正法。尋嗣心道。令不斷

この時にお釈迦様は寶座にお座りなって、世にも不思議な光り輝く絶妙な色の蓮華受け取り持って、只々無言でおりました『無無言。但拈蓮華』。この時に八萬四千の人と天の大衆は皆默しておりましたが、長老摩訶迦葉だけは三千大世界の源の絶妙な蓮華に見とれて嬉しそうにして居ました『破顏微笑』。その時に釈尊は摩訶迦葉に、釈尊は正法眼藏涅槃妙心の實相無相微妙法門を心心伝印をして、この法門は言葉と文字で伝え教えることが出来ない、凡夫が佛になる全てを含む最上の智慧を授け『我有正法眼藏涅槃妙心。實相無相微妙法門。不立文字。教外別傳。總持任持。凡夫成佛。第一義諦。今方付屬摩訶迦葉』告げてまた默しました。その時に尊者摩訶迦葉は座起して頂禮佛足して、世尊は絶妙な判断をします。私は過去無量劫において燃燈佛の法聴き発菩提心を起こして修行し、世尊の法を世に広めました。そのおかげで余すことなく般若体感して阿羅漢果を得て、諸法實相を聞き反復した事により、菩薩の道に入り、不動な心で大乘道事に入り、とても早く如來一切種智と如是妙智を得ました。いったい之はどこより発生したのかと。皆凡夫は久遠の昔からの心が有り、その心が佛心であり法身で有る事により成仏すると解かりました『皆從凡夫久遠心來。其久遠心。等諸佛心。是為法身。是名成佛。得見是心』。教理と理解文字之中には無くて只心の中で見ることで知ることができます。休みなく禅をして、果を得ることを期待しないで、因緣が熟した時に凡夫は佛道を見ることができます。この教えは凡夫の人中で絶えることなく無上の法です。ただ有るのは果賢聖の道を体感するのみ『唯有感果賢聖得道』。凡夫比丘比丘尼優婆塞優婆夷得佛道者は、末法濁惡世の中で證果する人は人千萬人中一人足りともいません、仏道の伝えは途絶えて有るのは名字、仏像も仏画も無くなります。但しこの法と仏道と仏像画を伝えれば末世においても世尊の教えは続きます『有此法故。傳佛道象。不結於末世』。摩訶迦葉よ汝の所言はとても素晴らしい。過去七佛の教えも法と像画を伝えることです。『七佛世尊。授法象然』。過去七佛の弟子も法象画を伝えることであり、私が永久涅槃に入った後も、大法藏を汝に授けます。能く正法を傳へ傳へ広めて、心を見て道を歩み大法が斷絕する事の無いように

今回はここまで、次回に続く。二千二十二年九月十五日

水源合掌

水源禅師のご法話

Aug 4, 2022

Ecuador 2022.08

Image 1 of 8

皆さんお元気でしょうか?

アンデスの家の仕事も終えて、私の体力も大いに回復して静かに天空と山の下の園の

香りを楽しみ、色々な果実の恵みを受けております。青い大空にツバメが山間を

飛び回り、さんさんと陽光が緑いっぱいの庭に注ぎます。

また海辺の家に帰って雑用をしますが、此処の大地での瞑想がとても良く体と心が

調和して益々不思議な時空を体験します。頭ではとても理解不可能な世界で、

サリーナスの海辺での気温も涼しく年中彼岸のところです。

           文殊菩薩様のお言葉

 衆生因為内在的智慧光明 (全ての生命体には佛の般若⋆智慧が宿ります。止禅で確認)

持心如大地亦如水火風 (その心は地球の大地、大海、大熱、大風です。観禅で確認)

無二無分別 究境如虚空 (大宇宙の存在と仏心の存在は同一体位です。止観禅で確認)

『天地八陽経・八太陽 と 八光子・Eight Photonsの同時行動作用は同じ事です。』

の絶妙な世界で体験でしか理解できない境地です。多分アフリカのMauritaniaの素朴な

砂漠生活、Afghanistanの山間の民やネパールの雨量が多い森の方々が感じると思います。

ネパール、カトマンズーをラサより三日二晩のバスで見た荘厳たる大地を流れ落ちる

数知れない滝が風に舞い、美しく白光を放っておりました。もう直ぐに其処には新幹線が

開通するそうです。又その昔に昆明より南伝寺訪ねて、ラオスの最北を南下して見て電気のな

い町々の夜空が私の幼心の笑いの世界に戻してくれました。其処には新幹線が半年前に開通し

て、国の所得額が倍増したので、隣国のタイ、ベトナム、ミヤンマーそしてマレーシアも急速

に作りたいとのことそして、インドネシアは計画遅れの新幹線早急に完成したいということで、

アジア諸国 はこの流れを見て 中国、タジキスタン、キルギスタン、アフガニスタン とイ

ランの新幹線条約締結し、モスクワー北京 新幹線7000KMを30兆円で作るそうです。

この原因は日本の新幹線よるもので、完成直後の乗車新幹線体験は未来の時空体験でした。

正見!!!

北米は見る影もなくロスアンゼルスーサンフランシスコ新幹線の失敗で未だに運行出来なくて、

Blackstone 投資社(戦争企)は六か月で街全体を買いあさり、コロナ禍により経済大沈下で

160兆円の損失を出しました。ウクライナ戦争はOdesa陥落でアメリカ合衆国は大負債を作

り中米戦争に向かい三次世界核大戦導火線となってます。

邪見!!!

お釈迦様は十善業道経(仏説海龍王経:第十一品、十美徳 西晉月氏國三藏竺法護譯より、龍樹菩薩様持ち帰ったお経の一つであると思います。)こう述べておられます。

娑竭羅龍宮の龍王に招待されて:

龍王!汝見此會及大海中,形色種類各別不耶?如是一切,靡不由心造善不善身業、語業、意業所致。而心無色,不可見取,但是虛妄,諸法集起,畢竟無主、無我我所。雖各隨業,所現不同,而實於中無有作者。故一切法皆不思議,自性如幻。智者知已,應修善業,以是所生、處、界等,皆悉端正,見者無厭

「全ての海の中の生命体は心(而心無色,不可見取,但是虛妄,諸法集起,畢竟無主、無我我所)の善、不善による身口意によって形が作られます。」一切唯心造、無二無分別 究境(心)如虚空(大宇宙)

十善業道(十徳六度)を実行することにより、

能離殺害而行施故,常富財寶,無能侵奪;長壽無夭,不為一切怨賊損害。

離不與取而行施故,常富財寶,無能侵奪;最勝無比,悉能備集諸佛法藏。

離非梵行而行施故,常富財寶,無能侵奪;其家直⑥順;母及妻子,無有能以欲心視者。

離虛誑語而行施故,常富財寶,無能侵奪;離眾毀謗,攝持正法;如其誓願,所作必果。

離間語而行施故,常富財寶,無能侵奪;眷屬和睦,同一志樂,恆無乖諍。

離粗惡語而行施故,常富財寶,無能侵奪;一切眾會,歡喜歸依;言皆信受,無違拒者。

離無義語而行施故,常富財寶,無能侵奪;言不虛設,人皆敬受;能善方便,斷諸疑惑。

離貪求心而行施故,常富財寶,無能侵奪;一切所有,悉以慧⑦舍;信解堅固,具大威力。

離忿怒心而行施故,常富財寶,無能侵奪;速自成就無礙心智;諸根嚴好,見皆敬愛。

離邪倒心而行施故,常富財寶,無能侵奪;恆生正見敬信之家;見佛、聞法、供養眾僧;常不忘失大菩提心

人間界においては上記様に大高徳を得て、全ての災難から離れて悠々自適の富と仏道のよき人生をおくられます。これが真言宗十善戒の原文で、下記の様に日本では唱えられています。

  • 身業
    • 不殺生(ふせっしょう) 故意に生き物を殺さない。
    • 不偸盗(ふちゅうとう) 与えられていないものを自分のものとしない。
    • 不邪淫(ふじゃいん) 不倫など道徳に外れた関係を持たない。
  • 口業
    • 不妄語(ふもうご) 嘘をつかない。
    • 不綺語(ふきご) 中身の無い言葉を話さない。
    • 不悪口(ふあっく) 乱暴な言葉を使わない。
    • 不両舌(ふりょうぜつ) 他人を仲違いさせるようなことを言わない。
  • 意業
    • 不慳貪(ふけんどん) 激しい欲をいだかない。
    • 不瞋恚(ふしんに[2]) 激しい怒りをいだかない。
    • 不邪見(ふじゃけん) (因果の道理を無視した)誤った見解[3]を持たない。

Blackstoneと日本の新幹線のものの見方よる結果の違いが、釈尊の偉大なる教えを示します。

二千六百珠の舎利を出された印光大師さまは十善戒唱え実行すれば必ずや浄土に生まれるといわれました。

(私も朝はパリー語で五戒、夜は十善戒を唱えます。なぜなら衆生の心の奥底に、豚の様に貪欲、喧嘩鳥の様に激しい怒り、蛇の様に闇討の三悪魔心により悪しき因果を造り出して六道輪廻図画:十二因縁、生死、六界:https://zhuanlan.zhihu.com/p/74418277:に詳しく描かれ、何れか地獄界へ落ち込みます。そして、佛尊二千六百年の教えでも未だに戦争の明け暮れです。現代では国家体制で極悪非道を堂々として、国連の存在が問題になってます。)

竜宮城でお釈迦様のお話を聞いた12歳になる龍女が佛になって仏国土へ旅ったといわれます。

私がその昔に印幻先生に、女性の佛をみましたが本当でしょうか?

君、女性の仏はおりますよ!(法華経の龍女のお話がここにあるのですね。)

盲目のチベット少女の方の歌https://www.youtube.com/watch?v=ayGQoJdRcdQ&ab_channel=KonSeaRing水源合掌    二千二十二年八月四日  太平洋の海辺にて

April 2024
S M T W T F S
 123456
78910111213
14151617181920
21222324252627
282930